【西郷どん】奄美大島に流された西郷隆盛は本当に荒れていたの?

2018年5月13日


 

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月照と西郷隆盛の入水自殺

 

最愛のお坊さん、月照(げっしょう)と共に冬の海に身を投げた西郷(せご)どん、

しかし、運命のいたずらで月照は死に、西郷どんは生き残ってしまいました。

主君の斉彬(なりあきら)に死なれ、最愛の月照にまで先立たれた西郷どんは抜け殻のようになり

井伊大老(いいたいろう)の追及をかわす為に、藩により死んだ事にされ菊池源吾(きくちげんご)と名前を変え

奄美大島(あまみおおしま)に流されてしまいます。

では、本当に西郷どんは荒れた生活を送っていたのでしょうか?

 

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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罪人と見られた西郷どんは、シマの人々とすれ違う

西郷隆盛

 

奄美大島は、1609年以来、琉球国から薩摩藩へ割譲されて属国となります。

島にとって不幸だったのは、奄美はサトウキビの栽培に適していて、

薩摩藩にとって貴重な富をもたらす存在だった事です。

 

藩の財政が厳しくなると、黒砂糖の収奪は増々激しくなり、

作付けも厳しく指示され、サトウキビ以外の作物の栽培は制限されます。

同時に島民は村から許可なく出る事を禁じられ、差別されるようになります。

 

さらに薩摩藩は奄美を罪人を流す流刑地にしていたので、

島の人々もまた薩摩から来る人間に対して罪人と見て、

身を守る為に上辺だけのよそよそしい対応に終始しました。

 

同時に西郷どんも無知から来る島人への差別意識があったので、

両者はすれ違い、西郷どんは島で孤立していたのです。

 

大久保正助に愚痴を書いちゃうナイーブ西郷どん

泣く西郷隆盛

 

その頃の西郷どんがいかに凹んでいたかを物語る手紙が残っています。

薩摩にいる盟友の大久保正助(おおくぼしょうすけ)利通(としみち))に宛てたものです。

 

「中略:しかし、話し相手がいないのが困る種子島城助(たねがしまじょうすけ)が2回

重野安繹(しげのやすつぐ)が一度来て、両3日泊まっていっただけだ。

かと言って島の人間は話し相手にはならない、

皆利得の人間だけ油断も隙もないやつらだ。

 

島民の子供を3人、教育を頼まれて預かっているが

皆十歳くらいで話し相手にもならないし家事手伝いの役にも立たない」

 

かなり愚痴をぶちまけている様子が見て取れます。

西郷隆盛と島津久光

 

後年の人格者西郷の様子は微塵もなく、薩摩の人間はたまにしか来ないし

島人は、油断も隙もならないとまるで泥棒のような扱いです。

炊事の事でグチグチ言っているのは、西郷どんは炊事が苦手で、

島人の手伝い無しに、それを行うのは骨だからでした。

 

コンビニもスーパーもない時代、西郷どんは億劫になると、

丸二日、飯を食わない事もあったと書いています。

 

古代中国・超科学の世界に挑戦する HMR

HMR  

村人の境遇に同情する素朴な正義感

使命感に燃える西郷隆盛

 

しかし、これで西郷どんを判断するのは早計というもので、

この手紙には、ちゃんと続きがあるのです。

 

島民に対する藩の政治は、言語道断な過酷さで見るにしのびないものがある。

蝦夷地(えぞち)の松前氏のアイヌ人に対する扱いもヒドイと聴くがそれ以上と思う。

こんなに酷いとは思いもしなかった、実に苦々しい事だ。

 

奄美大島に来て、西郷どんは無関心だった奄美大島の人々の酷い境遇を知ります。

ただ、それで終わりなら良心的傍観者に過ぎませんが、

西郷どんは行動を起こし、在地の役人である佐良角兵衛(さがらかくべい)に掛け合い、

とうとう過酷な搾取を止めさせる事に成功したのです。

島津斉彬

 

西郷どんは罪人ではなく、潜伏しているという身分が効いたようで

佐良は同僚の木場伝内(きばでんない)から、西郷どんが亡き斉彬の懐刀と聴いて態度を(ひるがえ)し、

帰途につく西郷どんに馬で追いつき、土下座して(ゆる)しを請うたようです。

 

この事件から島の人々も最近流されてきたお侍はタダモノではないと知り

次第に西郷どんに便宜を図るようになり、西郷どんの誤解も解け

急速に仲良くなっていったようです。

 

愛加那との出会いは本当にドラマチックだった?

西郷隆盛

 

西郷どんは、奄美大島の龍郷の名家、龍佐民(りゅうさみん)庇護(ひご)を受けていました。

龍家では、荒れている西郷どんを放置も出来ないので、

こういう場合は、男よりも女だろうと龍家の分家の龍為志(りゅうためし)の娘の

オトマガネ(後の愛加那)に時々炊事をさせたり、食事を持っていったりさせ

様子を見つつ、生活の面倒を見ていたという事のようです。

 

大河ドラマでは、大雨の中で木刀を振り回して叫び声を挙げるなど

毎日荒んだ生活をしている西郷どんの心の寂しさを理解した愛加那が

日に日に心を寄せていき、二人は結ばれたという美しいドラマになるでしょうが

愛加那

 

当地に伝わる話では、男やもめで色々溜まっていた若い西郷どんが、

身の回りの世話をしていた愛加那にムラムラし、手をつけてしまい懐妊したので、

責任を取って妻にしたという、ありふれた素朴な話もあります。

 

龍家としても愛加那を通わせたのは、あわよくば薩摩藩主の寵臣であった西郷どんと

龍家に血縁関係が出来れば今後も有利という思惑があっての事であり、

そうなったのは、喜ぶべき事でした。

   

西郷どんライターkawausoの独り言

西郷どんライターkawausoの独り言

 

西郷どんは、島の女達が手に入れている入れ墨、針突(ハヂチ)を嫌っていたようです。

同じく大久保正助に宛てた手紙には、皮肉を満載に入れて、

 

「奄美大島の娘達の美しい事は、京や大阪が僅かに匹敵する位だ、

3センチばかりも垢で化粧をして、手の甲から指先に入れ墨を入れてよ

あらまぁ!イヤざます」という内容の手紙を出しています。

 

しかし、入れ墨を入れないと一人前の女とはみなされず、

死んでから地獄の鬼にイジメられるという奄美のしきたりを知ると、

態度を改めるようになりました。

 

西郷どんの美点は、誤りを認めると素直に認識を改める事でした。

最初は警戒していた島の人々が西郷どんを受け入れたのも、

西郷どんのそういう部分を理解したからでしょうね。

 

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西郷どん

 
 

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