天才久坂玄瑞の攘夷実行と現実との剥離

2018年6月6日


 

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 久坂玄瑞(くさかげんずい)とはどのような人物か。ほとんどの人は禁門(きんもん)の変で長州藩士の強硬派で、

血気盛んな武士という印象も受けるかもしれません。

実際の久坂玄瑞は血気盛んな強硬派の武士ではありません。

久坂は父が長州藩医の家庭に生まれ、兄も医者でした。

 

父と兄を亡くしてから久坂も医者になりました。

久坂が天才であることについては長州藩内外でも有名で、

禁門の変では慎重派だったと言われています。

 

今回の記事では、25歳で自害した天才・久坂玄瑞について、

最初に少年時代に次々と家族を失う様子を取り上げます。

後半では久坂玄瑞を題材にした小説を紹介します。

 

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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久坂玄瑞、天涯孤独になった半生をみてみよう

 

久坂玄瑞は長州藩の藩医の三男として生まれました。

次兄は早世し、長兄は緒方洪庵(おがたこうあん)のもとで学び、長崎留学した優秀な人物でした。

玄瑞は美声と美貌、才能に恵まれた少年として育ちました。

久坂玄瑞は順調で幸福と思われた少年時代を過ごしていましたが、

幕府がペリー来航で動揺していた頃に久坂家にも不幸が次々と襲います。

最初に玄瑞の母が死亡します。その後、兄と父も急死しました。

兄と父の死は過労によるストレスと考えられます。

 

わずか1年の間に、15歳の玄瑞は一家全員を失いました。

兄の友人が孤独になった久坂の面倒を見ました。

一身に学問に打ち込み、医者になることができました。

 

松下村塾(しょうかそんじゅく)、「防長年少第一流の人物」との評価の理由は?

吉田松陰

 

久坂玄瑞は16歳になった頃、才能は長州藩の内外に知れ渡りました。

17歳のときに藩費で寄宿舎に入れる制度を利用して、好生館の寮生になりました。

久坂が寮生になってしばらくして、藩から九州遊学の許可を得ました。

九州を遊学していたときに熊本藩士の宮部鼎蔵(みやべていぞう)に会いました。

宮部は久坂に吉田松陰(よしだしょういん)から学ぶことを勧められました。

 

久坂は吉田松陰に手紙を送りますが、激論になったことは有名です。

このとき吉田松陰は久坂の手紙を通して才能があることに気付いていたと思われます。

 

ガンバレ徳川

 

「奇兵隊」の前身、「光明寺党」の結成!その活動とは?

 

長州藩は攘夷を実行するために1863年に外国船を砲撃しました。

その砲撃に対する報復として、1864年に四国艦隊下関砲撃事件(しこくかんたいしものせきほうげきじけん)がありました。

久坂玄瑞は下関(当時、馬関)の光明寺を本陣としていたことから光明寺党(こうみょうじとう)を結成しました。

農民や町人など身分を問わず希望者を募ったことから、

後に高杉晋作が結成する奇兵隊の前身になったと言われています。

 

実際、長州藩は攘夷を決行しましたが、長州藩の砲台は旧式で、射程距離が短いものでした。

外国船からの砲撃を受け、久坂らは攘夷を決行することが不可能であると悟りました。

 

久坂玄瑞、その生涯は小説のテーマに!

 

幕末の長州藩の有名人といえば、吉田松陰・高杉晋作(たかすぎしんさく)桂小五郎(かつらこごろう)を挙げる人が多いと思います。

久坂玄瑞も挙げる人がいるかもしれませんが、ドラマでは脇役として扱われることが多いため

あまり注目されていませんでした。

現在、久坂玄瑞の短い生涯が注目され、小説の題材になっています。

ここでは、久坂玄瑞を題材にした小説を紹介します。

 

花冠(かかん)の志士 小説 久坂玄瑞』

若くして家族を失った悲しみや兄へのコンプレックス、医師にならざるを得ないことへの反発や

吉田松陰との出会いと手紙のやり取りがこの小説で描かれています。

若くして亡くなった久坂玄瑞の生涯を知りたい人に推薦したい小説です。

 

『風の如く 久坂玄瑞編』

シリーズ『風の如く』の1作目は吉田松陰で、2作目は久坂玄瑞篇です。

架空の人物風倉平九郎(かぜくらへいくろう)が久坂玄瑞について語る形式で、物語が展開されています。

久坂玄瑞の生涯の中で、安政の大獄で吉田松陰が処刑されてから

禁門の変で自害するまでの間を中心に取り上げています。

久坂が時代の変動に翻弄される姿が描かれています。

   

幕末ライターオフィス樋口の独り言

 

今回は久坂玄瑞について取り上げました。久坂玄瑞は天才でしたが、

強硬派との板挟みに悩まされ、幕末の動乱に翻弄された人物でした。

久坂以外の長州藩の優秀な藩士と長州藩から優秀な人材が

多く輩出された理由について考えたいと思います。

 

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島津斉彬

 

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