新撰組で「鬼の副長」の異名を持った土方歳三の趣味が俳句でした。
豊玉という俳号も持っていました。
殺伐した幕末時代の中でも突出して危険な雰囲気を感じさせる土方歳三がどのような俳句を読んだのか?
そこには「鬼の副長」の意外な側面があったようです。
今回は土方歳三、豊玉先生の詠んだ俳句を紹介していきます。
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この記事の目次
土方歳三はいつから俳句を詠み始めた?
土方歳三の実家は裕福な農家であり、薬業も営んでおりました。
兄弟は10人おり、土方歳三はその末っ子になります。
兄が土方歳三の婚約者となる三味線屋の娘である琴のところに出入りしたのも、
俳句や浄瑠璃を趣味としていたという理由があります。
土方家は豊かで余裕があったため、連句(俳諧の連歌)を嗜む家風をもっていたのです。
祖父は俳人で俳号を三月亭石巴といいます。また、義理の兄の佐藤彦五郎も
春日庵盛車という俳号を持っており、俳句を趣味としていました。
そんな家の中で育った土方歳三ですから、子供のころから自然に俳句を詠むようになったのでしょう。
土方歳三は、子供のころから「バラガキ」と呼ばれる尖った乱暴者でしたが、
風流な趣味を持っていたのです。
上洛する前に実家に残した豊玉発句集とは?
土方歳三は、将軍の護衛のための浪士組みに天然理心流・試衛館の仲間たちと浪士組に志願し、
京に上がります。この浪士組が功績を認められ新撰組となるのです。
このとき、土方歳三は「豊玉発句集」を残しました。
「豊玉発句集」は、土方歳三が詠んだ41句をまとめた句集です。
今も土方家の子孫が運営している「豊玉発句集」に残されているものです。
豊玉先生発句1 白牡丹 月夜月夜に 染てほし
土方歳三、豊玉先生の句集「豊玉発句集」には
「白牡丹 月夜月夜に 染てほし」という句が載っています。
非常に情景が美しく叙情的な句ではないでしょうか。
白いボタンの花よ、月明かりの夜の中で、もっと白く染まれという意味に取れます。
土方歳三は「白」が好きだったようです。
気高く凛とした雰囲気の伝わってくる句ではないでしょうか。
豊玉先生発句2 さしむかう 心は清き 水かがみ
土方歳三、豊玉先生の句集「豊玉発句集」で最初のページに達筆に記されているのが
「さしむかう 心は清き 水かがみ」という句です。
差し向かっている、つまり向かい合って座っているのでしょう。
その相手は土方歳三の盟友であった近藤勇であったかもしれませんし、
同門の沖田総司もいたかもしれません。
そのような試衛館の盟友と、土方歳三は、京都に向かうことになっています。
そのときの心の内面を詠んだ句です。
心は澄み切って、まさに明鏡止水という感じだったのでしょう。
任務につく覚悟に対し、ありえる死の可能性も全て受けて入れている覚悟を詠んだものかもしれません。
豊玉先生発句3 知れば迷い知らねば迷わぬ恋のみち
土方歳三の俳句は司馬遼太郎先生が「下手」と言っていますがどうでしょうか?
いろいろモテモテで自信過剰気味な土方歳三、豊玉先生は恋の句も詠んでいます。
「知れば迷い知らねば迷わぬ恋のみち」と言う句は、司馬先生が「燃えよ剣」の中で
沖田総司にダメだしさせた句です。
土方歳三、豊玉先生も、どうもこの句はイマイチ出来が気になったようで
何度も直した形跡が今でも残っています。
司馬先生もこのあたりから小説のネタとして、沖田総司にダメだしさせたのでしょう。
そもそも、新撰組になってからの土方歳三は俳句を一応は止めているのです。
新選組に入って俳句は辞めたと思いきや、こんな俳句も・・
土方歳三は新撰組を組織し、京都の治安維持にという殺伐とした仕事を日々こなしていきます。
そのとき、土方歳三は俳句を詠むのをすでに止めていました。
人を斬って一句詠むというと、それこそアニメキャラのようになってしまいます。
さすがに現実はそうはいかなかったようです。
しかし、俳句と言うよりは戯れ歌を故郷に送った手紙の中に残しています。
とにかくモテ自慢を手紙に書きまくるという土方歳三ですが、
この手紙には「報国の心狂わするゝ婦人哉」という戯れ歌を記しています。
土方歳三は、女性からもらったラブレターの束を支援者に送って自慢するくらい人物ですので、
これくらいは軽い方でしょう。
国を思う気持ちも、女の前では揺らいでしまうというようなモテ男の悩みを書いたわけですね。
はっきりって「ふざけるな」言いたいくらいでしょう。これを読んだ家族は何を思ったのでしょうか。
俳句は武士階級ではなく町人のカルチャーだった
現代であれば、俳句を嗜むのは「教養」とみなされますが、幕末時代は違いました。
俳句は基本的に町人が楽しむ娯楽であり、武士が身につけるべきとされた漢詩や和歌などとは
違う文化に属したものだったのです。
武士の中でも趣味で俳句を詠む者はいましたたが、
あくまでも俳句は町人のカルチャーであるというのが、当時の認識だったのです。
土方歳三が新撰組の副長となり、俳句を詠まなくなったのは、
町人ではなく己は武士なのだという意味もあったのかもしれません。
幕末ライター夜食の独り言
土方歳三が俳句を詠んでいたのは郷里にいたころになります。
新撰組、副長としてあまりにも多忙であったのか、
それとも「町人趣味」であるとして止めたのかは分かりません。
ただ、司馬遼太郎先生が「下手クソ」といったせいか、
土方歳三の俳句は下手くそというのが定説になったのかもしれません。
しかし、それほど下手とは思えない句が多いのではないでしょうか。
「白牡丹 月夜月夜に 染てほし」などは美しく切なく背景を切り出し、
その心境まで類推させるた悪くない句だと思います。
土方歳三も「司馬史観被害者の会」のメンバーになれる資格を持っていそうです。
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