『礼記』には「天に二日無し、土に二王無し」という言葉があります。
天に2つの太陽がないように、地上にも2人の君主があってはならないという意味のこの言葉。
そんな経典の言葉を無視して、三国時代には3人もの皇帝が乱立しています。
それほど、三国時代というのは世が乱れていたのです。
ところで、皇帝ってそもそも何なのか…?
これをおさえていないと、中国史もちんぷんかんぷん。
今回は、皇帝とは何なのかをさらってみたいと思います。
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神話時代の皇帝
中国の神話時代には三皇が存在していたとされます。
それは、天皇・地皇・人皇とされていたり、
伏羲・神農・女媧とされていたり、書物によってまちまちです。
その後、五帝が現れたとされ、『史記』には五帝本紀が立てられています。
この五帝についても諸説ありますが、
『史記』は黄帝・顓頊・嚳・堯・舜の5人であるとしています。
これらの神話時代の三皇・五帝が、「皇帝」という言葉の発想につながっていきます。
ファーストエンペラー
皇帝は英語でemperor。
「ラストエンペラー」という映画が話題になったこともありましたね。
中国最後の皇帝は清朝の愛新覚羅溥儀です。
では、ファーストエンペラーは誰なのか?
それは、秦の始皇帝・嬴政です。
それまで、天下を治める天子の称号は「王」でした。
しかし、周王朝から独立を果たした諸侯たちまでが王を自称し始めます。
結果、あちらこちらに王が乱立。
最終的に中国の統一を果たした嬴政は、
王の中の王として「皇帝」を自称したのです。
易姓革命
しかし、この皇帝の称号はわずか2代で一度途絶えます。
秦末の動乱の合間に一時的に傀儡皇帝・義帝が現れるものの、
次に実質的に皇帝の位についたのは漢の高祖・劉邦でした。
劉邦は、自らが皇帝の位についたことを正当化するため、次のように述べます。
秦は中華統一を成し遂げた偉大な王朝であった。
しかし、晩年には経書を焼き払い、
多くの学者を生き埋めにするなどの圧政をしき、民草を苦しめた。
天はそんな秦を見限り、天命を私に与えたもうたのだ。
このように、劉邦は無理矢理皇帝の座を奪ったのではなく、
天命が秦から漢(自分)に改めて下されたために自分が皇帝に即位したのだと主張します。
『孟子』でいうところの「易姓革命」であるとして人々を説き伏せたのです。
漢は、途中で新・王莽に禅譲するというアクシデントを抱えながらも、
400年という長きにわたる時代を築き上げました。
皇帝を名乗る者が次々と…
長い漢代の終焉は、黄巾の乱によって幕を明けます。
三国時代の始まりです。
三国時代には、袁術が急に皇帝を僭称してみたり、
魏の君主・曹丕が皇帝を名乗ったかと思ったら、
乱れに乱れまくる世の中に。
2日どころか3日が昇る世の中。
…灼熱地獄です。
しかし、それぞれの皇帝は潰し合いを演じるわけですから、
なんとか唯一の皇帝になろうとしていたのでしょうね。
その後、三国時代に終止符を打ったのは晋王朝でしたが、
それも数十年で滅ぼされてしまいます。
以後、皇帝が乱立する乱世は300年以上続き、
隋代になるまで中華統一は果たされませんでした。
現存する唯一の皇帝
中国の皇帝の歴史は清朝の愛新覚羅溥儀で途絶えてしまいます。
しかし、そんな愛新覚羅溥儀の親族の子孫たちは、
日本や中国で民間人として活躍されているようですね。
その血脈が途絶えたというわけではなさそうです。
世界中を見て回っても、
皇帝と呼んでいい存在はほとんどその歴史に幕を下ろしてしまっています。
世界中に民主主義が浸透していったため、
唯一無二の人を統べる特別な存在としての皇帝は必要なくなってしまったのでしょう。
現在、皇帝と称していい存在は世界でただ一人しか残っていません。
それが、日本の天皇です。
天皇は日本の平和の象徴として、唯一残された皇帝なのです。
※この記事は、はじめての三国志に投稿された記事を再構成したものです。
元記事:ひとりしかいない筈なのにたくさんいた? 『皇帝』のお話
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