今回は、明治時代の人物を題材にして日本人の英語の勉強法について取り上げます。
江戸幕府は鎖国をしていて、清(中国)とオランダとの間で貿易をしていました。
江戸幕府の役人は中国語を除く外国語ではオランダ語を話すことができました。
この記事の読者の中には、幕末のドラマでアメリカとの交渉の時に、
英語とオランダ語を話せる通訳を間に挟んで交渉しているシーンを見たことがあると思います。
開国後、イギリスの公使オールコックは薩長同盟を、
フランスの公使ロッシュは幕府をそれぞれ支持しました。
幕末のドラマでは、薩長同盟の藩士の役の俳優が英語を流暢に話せるようになっていたり、
幕府の役人の俳優がフランス語を流暢に話せるようになっていたりするのを見て、
ビックリした人がいるかもしれません。
現在、日本人の多くは英会話を習っているけどうまく話せないと悩んでいると言われています。
英語を話せることを目標とするために、小学校から英語が必修となっています。
明治の歴史上の人物をヒントにして英語の勉強法を考えたいと思います。
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この記事の目次
明治時代に英語ができた人っていたの?
(画像:南方熊楠Wikipedia)
日本人が英語を話すようになったのはペリー来航時ではなくフェートン号事件であると言われています。
フェートン号事件とは、1808年にイギリス船がオランダ船を折って長崎に侵入した事件です。
幕府はイギリス船に薪と水を渡してイギリス船を長崎から帰しました。
フェートン号事件を受け、長崎通詞(通訳)は英語を勉強しないなら切腹だと言われました。
当時の長崎通詞はかなりのプレッシャーだったと思います。
長崎通詞は英語を話せるようになりましたが、勉強法として現実的ではありません。
現在に通じる日本人の英語の勉強法について、南方熊楠が当てはまるかもしれません。
南方熊楠は民俗学者と生物学者です。
生物学者として権威のある学術雑誌『ネイチャー』に論文を投稿したことがあります。
南方の英語の勉強法は英文を写すことです。
読者の中には単語を覚えるときにスペルを書いて覚えたことがあるかもしれません。
また、大学で英語の論文を書くときに論文を移して
英文の書き方を覚えることをアドバイスされた人もいるかもしれません。
南方の勉強法は現在の私たちの英語の勉強法に当てはまります。
「日の丸演説」伊藤博文がサンフランシスコで英語スピーチ!
1871年、岩倉使節団がアメリカのサンフランシスコに着きました。
伊藤博文は特命全権大使としてアメリカ市民の前で、英語でスピーチをしました。
これが日の丸演説と言われています。
日の丸演説で有名なスピーチで、アメリカ市民は拍手したと言われています。
スピーチの内容は次の通りです。
数世紀にわたって強固に続いてきた日本の封建制度は一発の銃弾も放たず、
一滴の治も流れず、わずか1年以内に撤廃することができました。
戦争をしないで中世の封建制度を打破できた国はあるのでしょうかとスピーチで言いました。
日本の国旗日の丸を指して、中央の赤い丸は洋上に登る太陽で、
日本は世界の文明国に向けて躍進する印であると言いました。
当時の伊藤博文の英語は日本語訛りであまり上手とは言えませんが、
堂々とスピーチをしたことでアメリカ人は感銘を受けました。
伊藤博文の英語の勉強方法ってどんなだった?
伊藤博文は吉田松陰の推薦で長州藩の京都派遣の随行員となり、
その後長崎の長州藩邸に異動しました。
長州藩邸に出入りするようになると、英語の本を読みながら歩き、
外国人を見つけると英語で話しかけました。
22歳の時、秘密裏にイギリスに留学しました。
ユニバーシティカレッジの講義を全て受講し、日常会話に困らないレベルにまで上達しました。
帰国後、高杉晋作の通訳や武器の買い付けで外国商人との交渉を担当しました。
明治新政府は内閣制に移行するまで太政官制でした。
三条実美が太政官として日本のトップにいましたが、
日本の総理は外電を読めなくては務まらないと井上馨が進言したことから、
英語力のある伊藤博文が初代内閣総理大臣になりました。
イギリスに渡った偉人たち!
ここではイギリス留学した偉人として、白洲次郎と夏目漱石を取り上げます。
白洲次郎はケンブリッジ大学クレア―カレッジに留学し、中世史を専攻しました。
白洲次郎と言えば、敗戦後の日本でGHQと交渉した人物で、マッカーサーを叱ったことでも有名です。
常に堂々と自らの立場を主張したという印象を受けますが、
その原点はイギリス留学にあると考えられます。
戦後、吉田茂(当時首相)の側近としてサンフランシスコ講和条約の交渉に随行しました。
白洲と言えばスポーツカーを2台所有していたことや
日本人で初めてジーパンをはいたというエピソードも有名です。
次に、夏目漱石について取り上げます。
夏目漱石は明治時代の文豪として有名で、
大学入学前に通った大学予備門では英語を得意科目として実力を発揮しました。
得意科目の英語を活かして、愛媛県の旧制中学校の英語教師として勤務しました。
文部省から留学を命じられ、イギリスに渡りました。
イギリス留学時に本を400冊読みましたが、精神的に追い詰められた生活を送っていました。
帰国後、東京帝国大学で英文学を指導しますが、
神経衰弱で家庭内暴力を起こしていたときに猫が現れました。
この猫を題材にした『吾輩は猫である』が好評を博し、現在でも読まれています。
幕末ライターオフィス樋口の独り言
私事ではありますが、予備校の講師として中学生と高校生に英語を教えています。
これまでの英語の指導経験から、
英語の単語・熟語・構文を覚えることについては南方熊楠の勉強法が現在に通じていて、
私も南方の勉強法を推薦します。
南方の勉強法に例文を日本語から英語に、
英語から日本語にそれぞれ直すときに声を出して暗唱できるようになれば完璧です。
日本人がどうして英語を話せないのか気になる読者が多いと思います。
日本人が英語で話しかけられると、頭の中で英語→日本語→英語の順で変換する習慣があり、
スラスラ英語を話せないと言われています。
スラスラ英語を話せるようになるためには
長崎の長州藩邸にいたときの伊藤博文がヒントになるかもしれません。
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