一昔前に「意識高い系」という言葉が流行ったことを皆さんは覚えているでしょうか。意識が高いふりをしているしょうもない学生の総称が「意識高い系」なのですが、その「意識高い系」の彼らの特徴として次の物を持っているということが挙げられていました。
スタバのタンブラー、マックブック、iPad万年筆、革の手帳う~ん、意識が高い香りがしますね。そしてどうやら、三国時代の「意識高い系」…いえいえ、意識の高い役人たちにも「七つ道具」と呼ばれるものがあったのだとか。
この記事の目次
デキる男は持ち物がいっぱい!柳行李
三国時代、お役所勤めをしていた人々は、今の社会人のようにビジネスバッグを持ち歩いていたようです。そんな三国時代のビジネスバッグは、柳行李という代物。コリヤナギを編んで作った直方体のつづら籠です。今のビジネスバッグのように持ち手や留め具がついていたわけではありませんから、荷がほどけないように大きな風呂敷でくるんで持ち歩いていました。ちなみにこの柳行李、現代大相撲で活躍する十両以上の関取も自身の持ち物を持ち運ぶのに使っているみたいですよ。
デキる男は予定もいっぱい!牘
三国時代のデキる男たちは、20~30cmの竹の札をたくさん持ち歩いていました。この札は「牘」と呼ばれるものです。そこには「いつどこで~する」といった予定がメモされていたようです。この「牘」はスケジュールをメモする以外にも誰かに伝言するための簡単なお手紙の役割を果たすこともありました。今でいうところの手帳やメモ帳に近いものだったようですね。
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デキる男は字だって書ける!筆
意識高い系の学生にとってマイ・万年筆は必需品でしたが、意識の高い役人にとってはマイ・筆が必需品でした。ちなみに、三国時代の筆は今の筆と大して変わらない作りのものだったようです。役人たちのステータスの高さの所以は字が書けることにあったため、字を書く道具である筆はだってそのステータスを誇るための大切なシンボル。意識高い系の人が万年筆を専用のペンケースで大切に保管したように、意識の高い役人たちも大切なマイ・筆を専用のケースに保管していたようです。
筆を使うなら持っていないとおかしいよね!硯・墨
万年筆にインクが必要なのと同じように筆にも相棒がいます。そう、硯と墨です。筆で字を書く際に使う墨といえばボトルに入っている液体タイプの墨汁をイメージするかもしれませんが、三国時代にそんな便利なものはありません。あったのは墨の棒です。油や松を燃やして出てきた煤を牛や豚から採取したゼラチンで練り固めた固形の物体です。
硯に水を入れて墨の棒をゴリゴリ磨ることにより、字を書くために使う黒い液体を作り出すのです。このとき、うまく墨を磨らないときれいな黒い字が書けません。ちなみに、子どもたちが冷たい水で墨をするのがかわいそうだと思った明治時代の小学校の先生によって今我々が使っている墨汁が開発されたのだそうです。
おっと、筆を誤った!そんなときには…書刀
現代の私たちは紙に文字を書くのが一般的ですよね。というわけで、字を書き間違えたら消しゴムか修正テープを使って文字を消します。しかし、三国時代には消しゴムだの修正テープだの、そんな贅沢なものはありませんでした。では、文字を書き間違えたときに彼らはどのように対処していたのでしょうか?
「墨で黒く塗りつぶしたのかな?」と考える人も少なくないでしょうが、当時は「削る」という方法で文字を修正することが一般的だったようです。その当時は紙ではなく竹の札に文字を書いていましたから、書き間違えたときには「書刀」という小刀を使って間違えた部分をカリカリ削って消していました。
カタカタカタ…ターン!?算木
役人といえば国や地方の石高やら税収やら、何やかんやと計算しなければならない仕事が盛りだくさん。そんなわけで、彼らは常に計算アイテムを持ち歩いていました。今は電卓やパソコンでカタカタカタ…ターン!で一発計算終了ですが、三国時代に当然そんなものはありません。
その代わりというのもなんですが、算木という計算棒のようなアイテムを使っていたようです。小学生が持ち歩く算数セットのアイツのような算木ですが、足し算・引き算・掛け算・割り算といった四則計算だけではなく、平方根を求める際にも使われたのだとか。
三国志ライターchopsticksの独り言
さらに、算木は赤と黒に色分けされており、それぞれが正の数と負の数を指し示すために正負の計算さえも可能。小学生の算数セットの計算棒より断然レベルの高い代物でした。
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