『三国志』を紐解いてみると、「~という地は~という地から~里の所にある」と具体的に距離を示す文章が度々登場します。ところで、この「~里」という距離はどのようにして測ったのでしょうか?長い紐を使って?歩幅を使って?そもそも『三国志』の距離の記述は、目測による大雑把なものでしかなかったのでしょうか?
いえいえ、『三国志』の記述は適当ではなかったようです。そこに記されている距離のほとんどはけっこう正確みたいで、どうやら測定には天文測量という方法が用いられていたのではないかと言われています。しかし、地球が丸いということさえ知らなかった古代中国人が果たして天文測量で正確に距離を測ることができたのでしょうか?
やっぱり実際に地面の距離も測って、それと照らし合わせて、いくらか誤差などを修正していたのではないかと思われます。そして実際問題、漢代以後には距離を測るためのけっこうハイテクな道具があったということが確認されているのです!
オートマチック走行距離メーター搭載馬車
皆さんは自動車の運転席に座ったことはありますか?運転席に座ると、たくさんのメーターが付いていることに気がつきます。アクセルを踏むと毎秒どのくらいの勢いでエンジンが回転しているかが示されるタコメーター。運転するときには一番気になる走行速度を示すスピードメーター。燃料があとどのくらい残っているかを示すガソリンメーター。
そして、地味ながら走行距離を示すメーターが2種類あります。総走行距離を示すオドメーターと自分である区間のからある区間までの距離を測りたいときなどに活用できるトリップメーターです。このオドメーター・トリップメーターに示される数字は、車軸の回転数によって割り出されます。実はこの仕組み、漢代には既に発明され、その上実用化されていたみたいなのです。その装置の名は「記里鼓車」と言います。
記里鼓車を徹底解剖!
読んで字のごとく、里を記すための鼓をのせた車である「記里鼓車」。その「記里鼓車」は、一体全体どのようなものだったのでしょうか?
左右におおきな2つの車輪がついた馬車の上に太鼓と2体の太鼓叩きの木の人形が据え付けられ、その上には大きな傘がついているというちょっとゴージャスで珍妙奇天烈な見た目の記里鼓車。左右どちらかの車輪には歯車が付いており、その歯車に垂直に噛むように、つまり地面と平行になるように大きな歯車が据え付けられています。その歯車の中心部からのびる軸には小さな歯車がついており、この歯車と大きな歯車がかみ合っています。この大きな歯車からのびる軸が上の傘の軸であり、この軸がくるくるまわるために傘もぐるぐる回転します。
そして、その軸の途中には人形の腕を動かすための紐を繰る装置がついています。傘が一回転すると太鼓叩きが太鼓を一回叩き、これにより一里進んだと知ることができます。その回数を数えることで距離を測ることができるのです。ちなみに、傘には飾りが垂れていて、その位置によって傘が一周しなくてもどのくらいの距離を進んだかを知ることができます。
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なんと方角を見失わないための車まで!
地図をつくろうと思ったらその距離を測るための方法も大切ですが、方角を見失わずにまっすぐに歩くことも大切です。三国時代、人々はどのように方角を知ったのでしょうか?実は、記里鼓車に負けない優れものがあったようです。その名も「指南車」。読んで字のごとく、常に南を指し示してくれる車です。
こちらも歯車を駆使したもので、左右の車輪には歯車がつけられており、それぞれの歯車には垂直に小さな歯車がかんでいます。これらの小さな歯車の間には両方の歯車と噛むように大きな車輪が据え付けられています。そして、その大きな歯車の軸の先には方角を指差す仙人の人形が付けられているのです。これは、左右の車輪の回転数の差を利用して常に一定の方角を示すための装置です。
どうやらこの指南車は、最初に設定する人形の方向を東にすれば「指東車」、西にすれば「指西車」としても使える模様。しかし、「天子南面」や「聖人南面」という言葉から「指南車」というネーミングを得たのでしょう。この指南車は伝説上の皇帝である黄帝に既に用いられていたとの記録があるようですが、実際に作られ、使われていたことが裏付けられるのは後漢時代以後のようです。
三国志ライターchopsticksの独り言
それにしても、2000年近く昔の人がこういったものを発明して実用していたことには感服せずにいられません。
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