我らが愛する横山光輝先生は『三国志』のみならず中国のあらゆる王朝の歴史を漫画に描いています。その中でも、秦滅亡から漢王朝が興るまでを描いた『項羽と劉邦』は世界史や漢文を学ぶ高校生に是非読んでいただきたい作品です。
実はこの『項羽と劉邦』の冒頭には秦の始皇帝が登場するのですが、彼はある日不思議な夢を見ます。東から現れた青い服を着た子どもと南から現れた赤い服を着た子どもが現れ、太陽を奪い合って喧嘩が勃発。最初は青い服の子どもが優勢でしたが、最後に赤い服の子どもが顔面にぶちかまして一発KO。そして赤い服の子どもは南に走り去っていったのでした。
漢は赤、楚は青
皆さんはもうお気づきでしょう。この赤い服の子どもというのは、漢の高祖・劉備を象徴する存在です。そして、青い服の子どもというのは、その仇敵・項羽。実はここでわざわざ服の色について言及されているのにはわけがあるのです。
五行説に則れば、漢の勝利は決まっていた!?
実は、彼らの服の色を見れば「ある知識」さえあればその勝敗は既に明らかであることに気づくことができるのです。その知識というのは五行説。戦国時代の陰陽家・鄒衍が提唱した説であり、この世のものは全て5つの要素に大別できるという考えです。その5つの要素とは、「木・火・土・金・水」。
「木」に分類されるものは、例えば色は青(緑)、方角は東、季節は春などです。その他、「火」に分類されるものは、紅(赤)・南・夏など、「土」に分類されるものは、黄色・中央・土用など、「金」に分類されるものは、白・西・秋など、「水」に分類されるものは、玄(黒)・北・冬などといった具合になっています。この説に則れば、東から現れた青い服の子ども、つまり楚は「木」に分類され、南から現れた赤い服のこども、つまり漢は「火」に分類されることがわかります。
そして、この五行の要素は互いに影響し合うもので、「相生」といって他の要素を生み出したり、「相剋」といって他の要素を打ち消したりするといった関係にあります。たとえば、「木は燃えるので火を生じる」というのが「相生」で、「水は火を消す」というのが「相剋」です。これに鑑みれば、楚(木)は漢(火)を生ずるものであるということがわかりますよね。
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実は漢のシンボルカラーは…
「なるほど~」という感じですが、これはフィクションでの話で、実は漢は当初、自らの王朝は「水」に分類されると考えていました。というわけで、漢王朝のシンボルカラーは「玄」だったのです。
えぇ!?でもでも、漢と言えば「赤」でしょ!はい、その通りです。実は、漢王朝は自分たちの王朝としての正統性、すなわち徳が五行では何に分類されるのか度々議論が戦わされ、そのときの雰囲気で結構好き勝手変えていたのです。
けっこうファジーな五行説
そもそも、徳を五行にあてはめるというのは、伝説の黄帝時代から行われていました。「黄」を冠する黄帝は自ずと「土」の徳を持つとされました。その後いくつかの王朝の興亡を経て、夏王朝は「木」とされ、その「木」を滅ぼした殷王朝は「金」とされ、その「金」を滅ぼした周王朝は「火」とされ、その「火」を滅ぼした秦王朝は「水」とされました。全て「相剋」の関係にありますね。
ところがここで問題が発生。秦王朝を終わらせたはずの漢王朝が自分たちの徳は「水」と主張し始めるのです。「秦は法家思想をもてはやしていたし、徳なんて備わっていないインチキ国家だったんだ!だから周の後を継ぐ漢こそが水徳の国家なんだ!」というのが彼らの主張です。
しかし、その後その主張が覆される世紀の大発見が!なんと今の甘粛省あたりにあった天水郡の成紀県という場所で黄龍が見つけられるのです。これにより漢は「水」ではなく「土」の徳を持っているんだということになり、秦の「水」の徳がようやく認められる雰囲気になりました。
しかし、前漢末になって再びこの説に異論が唱えられます。天文学者にして目録学者でもある劉向・劉歆親子が漢の徳は「火」であると主張し始めたのです。彼らは、今までの王朝が「相剋」の関係にあると考えられていたことを真っ向から否定し、実際には「相生」の関係にあると主張します。
そのため、黄帝は「土」、少昊は「金」、顓頊は「水」、嚳は「木」、堯は「火」、舜は「土」、夏は「金」、殷は「水」、周は「木」とされ、今回も秦は飛ばされ、漢が「火」の徳を持つとされるようになったのでした。これ以後、漢のシンボルカラーが我々もよく知る「赤」になったのです。その後、火徳から生ずる「土」を表す「黄」は黄巾の乱のシンボルカラーにされたり、魏のシンボルカラーにされたりしていますね。
三国志ライターchopsticksの独り言
その後も五行説に則って歴代王朝はシンボルカラーを決めていくのですが、やっぱりどこかファジーだったようです…。
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