薩長同盟の目的は倒幕ではなかった!【知って得する幕末史】


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坂本龍馬を交えた薩長同盟

 

NHK大河ドラマ西郷(せご)どんは、いよいよ薩長同盟(さっちょうどうめい)に向かって動き出しています。薩長同盟は、薩摩(さつま)長州(ちょうしゅう)の軍事同盟であり、討幕(とうばく)の切っ掛けになった。そのように教えられてきましたが、実はそれは正しくないらしいのです。では、薩長同盟が結ばれた本当の理由は何でしょうか?

 

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長州の意向?薩長同盟は口約束

桂小五郎

 

薩長同盟は、完全な秘密同盟で原文が見つかっていません。あるいはあるかも知れませんが、kawausoは無いと思います。そもそも、薩長同盟の原文は最初から無く口約束ではないかと考えます。

 

だからこそ、桂小五郎(かつらこごろう)は後で同盟を薩摩が勝手に解釈する事を怖れ同盟の内容を文書にして、現場に居合わせた坂本龍馬(さかもとりょうま)に送って朱筆の裏書を求めたのでしょう。どうして、そんな事をしたのか?

 

やはり長州が薩摩を信用しきれていないという事になるのでしょう。そんな文書を残して西郷が変心して幕府にリークすれば、長州は終わりになってしまいますからね。文書は残さず、幕府に追及されても、そのような事実は何もありませんと言い抜ける為に公式文書は一切残さない方法しかなかったのでしょう。

 

ただ、文書の裏書を求められた龍馬は桂の用心深さに呆れ「これは英雄のする事ではない」と言ったとされます。


僕らを見捨てないで!薩長同盟の内容が悲しすぎる

薩長同盟の内容が悲しすぎる桂小五郎

 

薩長同盟は、6つの条文から成立していますが、それは、薩摩と長州が軍事的に同盟を結んで幕府を倒すような、勇ましい内容ではありませんでした。実際はまるで反対の内容と言ってよく

 

1戦争となったら、(薩摩は)すぐに二千の兵を国元から派兵して、

在京の兵と合流し大阪にも一千はおいて、京都と大阪の防備を固める

 

2戦争に負けそうでも1年位はどうしても踏ん張るので

薩摩は絶対に中立を貫き敵に寝返らない事

 

3長州が勝ったら、必ず薩摩から天皇に申し入れをして

朝敵の汚名を雪ぐ為に全力を尽くす事

 

4朝敵の汚名が晴れたら薩長は手を組んで天皇の為に尽くす事

 

以上のような内容が含まれていて、実際には軍事同盟どころか長州は戦争を頑張りぬくから敗色濃厚だからって寝返らないでね。

もし勝ったら、きっと薩摩から天皇に申し上げて朝敵の汚名を(そそ)いでね、絶対だよ!

 

このように、薩摩に幕府方に裏切らないように求めている内容です。

島津忠義

 

薩摩藩の重臣だった市来四郎(いちきしろう)は、薩長同盟が軍事同盟の性質を帯びるようになったのは1867年11月、薩摩藩主島津忠義(しまづただよし)が藩兵を引き連れて上洛する際、長州藩世子毛利広封(もうりひろあつ)と会見して出兵協定を結んだ時点であると指摘しています。

 

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薩長同盟の目的は一会桑の撃滅だった!

徳川慶喜

 

そして、薩長同盟の条文の残りを見てみると薩長同盟の目的が討幕では無かった事が分かります。

 

4兵士を出しても、一橋、会津(あいづ)桑名(くわな)藩が、

今のような態度を改めず朝廷を擁して正義に逆らうなら断固戦う

それ以外には、道が無い事を確約する。

 

一橋とは、当時、京都の公安長官のような仕事をしていた一橋慶喜、会津藩と桑名藩は慶喜と結託して御所を守備しており、禁門の変でも大きな働きをしていた公武合体派の藩でした。

 

つまり、長州藩の遺恨(いこん)は禁門の変で自分達を京都から追い出した、一会桑であって、さらに東に存在する幕府ではないのです。この段階では慶喜は将軍ではありませんからね。

 

薩長同盟の立役者、桂小五郎の苦悩・・

桂小五郎と西郷隆盛

 

京都二本松の小松帯刀(こまつたてわき)邸で結ばれた薩長同盟ですが、桂小五郎が、薩摩藩のサイドから呼びかけてくれないと話合いに応じられないとゴネた話があります。

 

これも従来の考えだと、明らかに長州が劣勢なのにひたすら強がり尊大な態度だと思われがちですが、同盟の内容が薩摩におんぶに抱っこな内容である以上、せめて、表面的にでも薩摩サイドから折れてくれないと、桂も長州に戻ってから立つ瀬がなかったのでしょう。

 

「こんな屈辱的な内容を私から薩摩に持ち掛けろというのか?幾らなんでもあんまりであります!」

 

桂小五郎の苦悩が偲ばれます。

 

薩長同盟、なぜ薩摩藩は承諾したのか?

京都御所

 

長州藩は、幕府も朝廷も諸藩も敵に回し味方が欲しかったので同盟に前向きなのも無理はありません。

では、どうして薩摩藩は長州についたのでしょうか?

 

これも、一会桑政権(いっかいそうせいけん)の存在がありました。

 

禁門の変の前までは長州を追い落とす為に薩摩を必要とした慶喜ですが、内心では幕府の政治に介入する薩摩が嫌いであり、長州を潰したら次は薩摩だと虎視眈々(こしたんたん)と狙っていました。ここで、薩摩は結局自分達も慶喜から見れば外様であり、共に栄達する事は出来ないと悟ったのです。

 

薩長同盟居合わせた人物

西郷隆盛

 

映画やドラマなどでは、西郷と桂、それに坂本龍馬しか目立たない薩長同盟のシーンですが、実際には誰が居合わせていたのでしょう。調べてみると以下の人々がいたようです。

 

幕末刀剣マニアの坂本龍馬

 

土佐浪人 坂本龍馬

長州藩 木戸貫治(きどかんじ)(桂小五郎)

長州藩 品川弥二郎(しながわやじろう)

薩摩藩 小松帯刀

薩摩藩 西郷隆盛

薩摩藩 大久保一蔵

薩摩藩 島津伊勢(しまづいせ)

薩摩藩 奈良原繁(ならはらしげる)

薩摩藩 桂久武(かつらひさたけ)

薩摩藩 吉井友実(よしいともざね)

 

どうやら、この十名前後が現場に居合わせていたようです。


薩長同盟わかりやすく

薩長同盟わかりやすく

 

薩長同盟を分かりやすく言うと、

 

1長州と一会桑政権の戦いになったら薩摩は裏切らず中立を貫く

2長州が勝利したら薩摩が動いて朝敵の汚名を雪ぐように働く

 

 

この二つを約束した同盟で、さらに能動的に東に進撃して、幕府を倒すというような内容ではありません。そこまでいくのは、第二次長州征伐で幕府が敗北して、思った以上に弱体化している事を薩長が認識してからでしょう。


  

幕末ライターkawausoの独り言

幕末ライターkawausoの独り言

 

以上、薩長同盟についての最近の見方について紹介しました。

やはり、禁門の変で敵対した薩長両藩が一足飛びに軍事同盟は無理がありまずは薩摩藩が中立を守り、長州の汚名を雪ぐ位で妥協するのが現実的だったのでしょうね。

 

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