【孔門十哲】冉伯牛(ぜんはくぎゅう)とはどんな人?ハンセン病に侵された徳行者

2018年9月11日


 

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儒教

 

孔門十哲(こうもんじってつ)と称される孔子の10人の弟子の中で、

特に徳行において優れている者は4人挙げられています。

 

それは、孔子の最愛の弟子とされる顔回(がんかい)

孝行者として名高い閔子騫(びんしけん)

孔子に君主の器があると評された仲弓(ちゅうきゅう)

そして、冉伯牛(ぜんはくぎゅう)です。

 

徳行者として孔子に認められたという仲弓ですが、

彼に関するエピソードは『論語(ろんご)』において1条しか見当たりません。

 

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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孔子「これはもうだめかもわからんね」

 

冉伯牛の唯一のエピソードは『論語』雍也(ようや)篇に見えます。

 

冉伯牛がある病気にかかってしまった。

孔子は冉伯牛を見舞い、

窓の外からその手をとった。

 

そして孔子は次のように言われた。

「これはもうだめだねぇ…運命というものだろうか。

これほど素晴らしい仁徳者である冉伯牛がこんな病にかかるなんて。

これほどの者がこんな病に侵されるなんて…。」

 

孔子は冉伯牛病に回復の見込みが無いことを悟り、

仁徳者である冉伯牛の悲しい運命を呪わしく思っています。

 

孔子がいかに冉伯牛を高く評価していたかがわかりますね。

 

 

冉伯牛の病はハンセン病だった!?

冉伯牛の病はハンセン病だった

 

ところで、冉伯牛が侵されたという病は一体何なのでしょうか?

 

これについては南宋の学者・朱熹(しゅき)

「先儒以為癩(先儒以て(らい)と為す)」

と『論語集注』で述べています。

 

この先儒とは誰なのかはわかりかねますが、

前漢時代に淮南王劉安が集めた学者たちによって編まれた

淮南子(えなんじ)』精神訓に「冉伯牛、為()(冉伯牛、(れい)と為る)」という記述が見えます。

 

これらの文献に見られる「癩」や「厲」は

ライ病、すなわちハンセン病のことです。

 

時代を超えて愛される中国四大奇書「はじめての西遊記はじめての西遊記

 

ハンセン病ってどんな病気?

 

ハンセン病については、

中国最古の医学書である『黄帝内経(こうていないけい)』にも記されています。

 

「病大風、骨節重、鬚眉墮、名曰大風。

(病の大風、骨節重にして、鬚眉堕つるを、名づけて大風と曰ふ。)」

 

この記述によれば、

ハンセン病の患者には骨や節の損傷が激しく見られ、

ひげや眉毛が全て落ちてしまうことが特徴として挙げられていることがわかります。

 

ひげや眉毛が抜け落ちるだけで相当見た目の印象が変わるものですが、

実は、このハンセン病にかかると顔がパンパンに膨れ上がり、

ウロコ状もしくはかさぶた状のできものが体中にでき、

その上骨が溶けてしまうために鼻や耳の軟骨も失われ、

手先も曲がって鷲や猿のような手になってしまいます。

 

顔や体のできものについては治療が進むにつれて消えていきますが、

失われた毛や骨が再生することはありません。

 

そのため、病と闘っている最中はもちろん、

完治した後もその外見に悩まされることになります。

 

その外見のあまりの変貌ぶりに人々は恐怖を抱き、

秦代にはハンセン病患者の隔離施設ができたそうです。

 

家に引きこもって人目を避けた冉伯牛

 

ハンセン病は主に鼻や口から入るらい菌によって感染しますが、

その感染力は非常に弱いもので

現代の日本ではほとんど見られない病になりましたし、

もし感染してしまっても適切な治療を受ければ重い後遺症がのこることもありません。

 

しかし、適切な治療など無かった春秋時代に生まれた冉伯牛は、

変わり果ててしまった自らの姿を人に見せて怖がらせないように、

家にこもって一人で静かに病と闘うしかなかったようです。

 

自らの体の変化にすっかり心も沈んでしまったことでしょうし、

身体中のあちこちの神経が損傷するために感じる激痛に

脂汗をダラダラとかきながら耐え忍ぶ日々はさぞかし辛かったことでしょう。

 

そんな折に見舞いに訪れてくれた師の孔子のために、

冉伯牛は病で動きにくい体を起こして窓辺に寄りかかります。

 

そして孔子から伸べられた手にその手を重ねたとき、

とても心が安らいだことでしょう。

   

 

三国志ライターchopsticksの独り言

 

冉伯牛が具体的にどのような点で徳行を重ねた人物であったのかは、

『論語』にはもちろん『史記』などにも記されていません。

 

しかし、孔子がわざわざ見舞いに訪れるだけではなく、

その手を重ねて冉伯牛を惜しむ言葉を漏らしていることから、

彼が孔子にとってどれほどかけがえのない存在であったかが窺えます。

 

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孔門十哲

 
 
 

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