中国の歴史書は二十一史?それとも二十四史どんなことが書いてあるの?

2018年10月1日


 

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二十一史

 

三国志』好きな皆さんの中には、中国の他の時代の歴史にも興味を持つ人がいるのではないでしょうか?

 

三国志演義_書類

 

三国志演義』から正史『三国志』に興味を持ち、更に他の正史を読む必要性があると感じた結果、『史記』や『漢書』、『後漢書』といった『三国志』の前の時代に目を向ける人もいれば、司馬(しば)氏によるクーデターの後が気になって『晋書』に手を伸ばす人もいるでしょう。しかし、それらの歴史書を読み終えると、他の時代のことまで気になり始めてしまうに違いありません。そこでほとんどの人がふと疑問に思うのは「中国の歴史書ってどのくらいあるんだろ…?」ということではないでしょうか?

 

実は、正史と称される中国の歴史書は二十一史と総称されたり、二十二史と総称されたり、そうかと思えば二十四史と総称されたりとけっこうマチマチです。一体何がその違いを生んでいるのか?その謎に迫っていきたいと思います。

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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二十一史とは?

司馬遷

 

まず、二十一史と総称される正史には何が含まれているかをチェックしていきたいと思います。まずは、前漢の人・司馬遷(しばせん)が編んだ『史記』。五帝という伝説の帝王がいた時代から前漢・武帝(ぶてい)の時代までを描いた通史です。続いて後漢の人・班固(はんこ)が編んだ『漢書』。前漢代のみを描いた断代史です。そして、後漢代を描いた断代史である南朝宋の人・范曄(はんよう)が著した『後漢書』。

 

正史三国志を執筆する陳寿

 

 

我らがよく知る三国時代を描いた西晋の人・陳寿(ちんじゅ)の『三国志』。西晋から東晋にかけての時代を描いた唐代の人・房玄齢(ぼうげんれい)による『晋書』。南朝宋の歴史を記した南朝梁の人・沈約(しんやく)による『宋書』。

 

南朝梁の人・蕭子顕(しょうしけん)が著した南斉の歴史書『南斉書』。南朝梁の時代を描く唐代の人・姚思廉(ようしれん)による『梁書』。これまた姚思廉によって著された南朝陳の歴史書『陳書』。北斉の人・魏収(ぎしゅう)を中心に編纂された北魏の歴史書『魏書』。北斉の時代を描く『北斉書』は、唐の太宗(たいそう)の勅命を受けた魏徴(ぎちょう)が総括し、主に李百薬(りひゃくやく)が編纂したとされています。

 

同じく唐の太宗の勅命を受け、令狐徳棻(れいことくふん)が編纂した『周書』は、北周の歴史を描いたものです。私たちにもなじみ深い隋代を描いた『隋書』は、唐代の魏徴や長孫無忌(ちょうそんむき)によって編纂されました。『漢書』からここまで断代史が続きましたが、ここで通史『南史』の登場です。唐代の李延寿(りえんじゅ)によって描かれたこの『南史』には、南北に分裂していた時代における南朝すなわち宋・・梁・陳の4つの王朝の歴史が描かれています。

 

そして、それと対応するのが『北史』。これもやはり、李延寿によって著されたものです。北朝の・北斉・北周・隋の4つの王朝の歴史を通観できます。宋代の欧陽脩(おうようしゅう)宗祁(そうき)らが仁宗(じんそう)から勅命を受けて『旧唐書』を改訂した『新唐書』。これまた欧陽脩が編纂した後梁の太宗から後周の恭帝(きょうてい)までの歴史が描かれている『新五代史』。

 

元代の脱脱(とくと)を中心として編纂された北宋・南宋の歴史書『宋史』。これまた脱脱と欧陽玄(おうようげん)らが元の順帝(じゅんてい)の勅命を受けて編纂した遼代の歴史書『遼史』。そしてまたまた脱脱によって描かれた金の歴史書『金史』。最後に、明代の人・宋濂(そうれん)が中心となって編纂した元代の歴史書『元史』です。

 

 

 



二十二史とは?

二十二史とは?

 

続いて、二十二史ですが、二十一史に一史加えただけだろうと思う人もいると思いますが、そう単純ではないようです。

 

この二十二史の解釈は二通りあります。二十一史に旧唐書を加えるというものと、二十一史に明史を加えるというものです。『旧唐書』とは、先ほど『新唐書』について紹介する際にも簡単に触れましたが、五代後晋の人・劉昫(りゅうく)が中心となって編纂した歴史書です。

 

この『旧唐書』は何かと不備が多く、それを補った『新唐書』が著されたのを機に人々に読まれなくなってしまったちょっと不憫な歴史書です。しかし、清代になるとその資料的な価値が見直されるようになり、『旧唐書』も正史に加えようという風潮が興ったのでした。ところが、それを許さない人たちも当然いたため、清代の人・張廷玉(ちょうていぎょく)らが王鴻緒(おうこうしょ)の『明史稿』をもとに編んだ『明史』を加えて二十二史だと主張した人たちもいたというわけです。

 

袁術祭り

 

 

 

二十四史とは?

 

そんな二十二史論争に終止符を打ったのが、清代の乾隆帝(けんりゅうてい)です。乾隆帝は『旧唐書』も『明史』も、さらに北宋の薛居正(せつきょせい)らが編んだ『旧五代史』まで加えて二十四史を正史とすると定めたのでした。これにて中国の正史問題は一件落着したわけです。

 

 

三国志ライターchopsticksの独り言

三国志ライター chopsticks

 

実は、中国の正史は二十五史だ!いや、二十六史だ!という声も上がっています。二十五史は台湾の柯劭忞(かしょうびん)が著した『新元史』を加えたもので、二十六史は二十五史にさらに同じく柯劭忞による『清史稿』を加えたものということだそうです。正史の事情は複雑怪奇ですね。

 

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清朝考証学を勉強中。 銭大昕の史学考証が専門。 片田舎で隠者さながらの晴耕雨読の日々を満喫中。 好きな歴史人物: 諸葛亮、陶淵明、銭大昕 何か一言: 皆さんのお役に立てるような情報を発信できればと思っています。 どうぞよろしくお願いいたします。

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