四部分類って何?中国で醸成された目録学をご紹介

2018年10月2日


 

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四部分類

 

三国志』などの中国の歴史についての議論では

経書とか史書とかいう言葉が度々飛び交いますが、

正直なところこれらの言葉をよくわかっていないで

使っているという人もいるのではないでしょうか。

 

経書・史書・子書・集書というのは所謂インデックス、目録の分類法のことなのです。

今回は中国で生み出された目録についての学問、

目録学をご紹介したいと思います。

 

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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四部分類とは?

四部分類とは?

 

経・史・子・集という4つの目録は四部分類という図書分類法です

図書館や本屋さんに出かけてみると、「人文」「社会」「科学」など

本がその種類によって分けられていることに気づきますよね。

漢籍も同じようにその種類ごとに分けられているというわけです。

 

それではいよいよ四部とはそれぞれどのような書物の分類であるかについて

ご紹介させていただきましょう。

 

まずは「経」。

経書や経部とも呼ばれているこちらには

『詩経』や『書経』などの儒教の経典が主に分類されます

また、『春秋左氏伝』や『論語注疏』などの注釈書、

『爾雅』などの経典解釈の助けとなる訓詁について記された書物についても

経部に分類されています。

 

続いて「史」ですが、

こちらも史書や史部という異称を持ちます。

こちらに分類されるのは『史記』や『漢書』といった正史や

とある地方の歴史が描かれている地方史、

そして一見歴史とは関係ないと思われそうな地理書です。

中国では時代によって地名がころころ変わりますから、

地理書も大事な歴史資料と考えられていたのですね

 

そして「子」。

子書もしくは子部とも呼ばれるこちらに分類されるのは諸子百家の書物です

厳密には儒家も諸子百家の1つとされていますが、

儒家についてはその書物の多さから経部として独立しているということで、

それ以外の『老子(ろうし)』や『韓非子(かんぴし)』などが子部に分類されています。

ちなみにこちらの書物には天文学や暦算学、医学に関する書物も分類されているようです。

 

最後に「集」です。

集書や集部とも呼ばれるこちらには

文学に関する書物が分類されます。

「集」というのは

「総集」や「別集」などに使われる「集」からとった言葉です。

『文選』などの詩文集はもちろん、文学作品についての論評も集部に分類されていますよ

 

 

もともと書物は六種類に分類されていた

もともと書物は六種類に分類されていた

 

ところで、漢籍というものはいつから分類されるようになったのでしょうか。

図書の分類をしはじめたのは前漢代に活躍した五行でも暦算術でもなんでもござれの

劉向(りゅうきょう)劉歆(りゅうきん)というスーパー親子であったと言われています。

 

まず父の劉向が宮中の蔵書をくまなく調べ上げ

それらを六芸・諸子・詩賦・兵書・術数・方技の6種類に分類しました。

そして更にそれらの本がどのような書物であるのか大略を書き記し

1冊の書物としてまとめて『別録』と名づけたそう。

いわゆる解題書を作ったのですね。

 

そしてこれを息子の劉歆がよりわかりやすくまとめなおし、

『七略』という書物にまとめたそうです。

『七略』と銘打っていますが、劉歆は父がつくった6分類法を踏襲しており、

新しい分類が付されていたわけではありません。

「輯略」という序文のようなものも数えているために

「七」を冠しているだけです。

 

では、劉歆が考え出したと言われる6つの図書分類はどのようなものだったのでしょうか。

まず「六芸略」ですが、これは四部分類の経部に相当する分類です。

「諸子略」は子部に、「詩賦略」は集部に相当します。

 

そして残りの3つですが、

「兵書略」は『孫子』などの兵法書

「術数略」は陰陽五行などについての書物

「方技略」は医学などについての書物の分類です

これら3つは四部分類では子部に分類されていますが、

最初は別物として分けられていたのですね。

 

そして皆さんお気づきでしょうか?

…史部に相当するものがないのです!

その当時はまだ歴史書という概念がはっきりしていなかったのかもしれませんね。

 

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三国志ライターchopsticksの独り言

 

劉歆が著した『七略』は『漢書』芸文志の下敷きとなり、

現存する目録学最古の文献として今でも研究され続けています。

 

彼の分類法は時代が下るにつれて改変されていき、

『隋書』経籍志が世に通行するようになってからは

四部分類が主流になったようです。

 

そして、清代に『四庫全書総目提要(しこぜんしょそうもくていよう)』という

中国最大の解題目録が編纂(へんさん)されるに至りました。

今では多くの書物を1つにまとめた叢書も子部から独立させて叢書部(そうしょぶ)を立て

五部分類とすることもあるようですね。

 

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