劉備が諸葛亮を自分の幕僚に加えるために、諸葛亮の庵を三度も訪問したという三顧の礼。三国志演義では、隠士・諸葛亮の風雅な暮らしぶりを美しく表現したいためか、やたらと詩がいっぱいでてきます。
そういう文学っぽいやつは物語の本筋と関係なさそうなのでざっと斜め読みすればいいやと思っていたのですが、細かく読んでみると、なかなか意味深で面白いと感じました。本日は、詩をちょっと細かく読んでみたいと思います。
意味深な詩1:農夫が歌っていたコマーシャルソング
劉備が諸葛亮の住む庵を初めて訪問しようとした時のこと、途中の山の麓で次のような歌をうたっている農夫たちがいました。
蒼天は円蓋の如く 陸地は棋局に似たり
世人は黒白に分れ 往来して栄辱を争う
栄える者は自ずから安々たり 辱めらるる者は定めて碌々たらん
南陽に隠者あり 高眠して臥せども足りず
(※詩句は三国志演義李卓吾本によりました)
農夫たちによれば、この歌は諸葛亮が作ったものだということです。歌の内容は、天下の情勢を囲碁にたとえながら、次のようなメッセージを発しているものです。“負け組の劉備さんは人の下風に立っていてお気の毒ですなぁ。
私がこの南陽にいるんですけどねー。呼ばれもしないのにしゃしゃり出たりはしませんけどねー”これは諸葛亮が劉備を誘っているコマーシャルソングです。今回注目するのは、詩の押韻のしかたです。
漢詩って、ラップみたいに句の末尾が韻を踏んでいますよね。この詩は、局、辱、足で押韻しています。これらの文字はいずれも古語で入声と呼ばれる音で発音された文字で、入声は語尾が詰まるような音であって、のびやかな耳あたりの音ではありません。
“劉備さん、困ってますよね? ククク、かわいそう。ボクを頼ればいいのに…”という内容の詩は、劉備困ってる感を演出するために、わざと切迫感のある入声音で押韻したのではないでしょうか。
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意味深な詩2:諸葛亮のお目覚めソング
劉備が諸葛亮の庵を三度目に訪れた時、諸葛亮は部屋で昼寝をしているところでした。
庵の門番の童子が諸葛亮を起こそうとしますが、劉備はそれを止めて、諸葛亮が起きるまでじっと待ちます。諸葛亮はたっぷり半日も爆睡したあと(というか狸寝入りでわざと待たせて劉備の人物を試したのでしょう)、次のような詩を口ずさみます。
大夢誰か先ず覚む 平生我自ら知る
草堂に春睡足りて 窓外に日は遅々たり
睡眠から目覚めていきなり詩を口ずさみますかね。とっても狸寝入りくさいです。この詩は、窓の外でじーっと待っていた劉備のことを太陽にたとえながら、“あなたのような名主がそこまで私を欲しているのなら、私は起きますよ! ええ、起きますとも!”と言っているんですね。諸葛亮が狸寝入りをやめるまでじっと待つという茶番劇が終了した時点で臥龍先生こと諸葛亮が臥龍じゃなくて起きてる龍になって庵を出ることはほぼ決まっていました。
さて、今回注目するのは詩の押韻のしかたですが、この詩は「知」と「遅」で押韻しています。これらの文字はいずれも古語で平声と呼ばれる音で発音された文字で、平声はのびやかな音です。
“劉備さん、私が起つからにはもう安心ですよ~”という前途洋々な雰囲気を演出するために平声で押韻したのでしょう。
三国志ライター よかミカンの独り言
昔の人は本を音読する習慣があったので、作品の中の詩の発音はけっこう重視されていたのではないでしょうか。劇や講談で三国志物語を演じることを考えた場合にも、音の印象は大切です。
読むのが面倒くさくってつい斜め読みしてしまう詩ですが、細かく見ると作者の工夫が見られて面白いなーと思いました。三国志演義は、歴史を度外視して文学作品として味わってもけっこう面白いかもしれません!
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