【応仁の乱】11年間続いた応仁の乱の幕開け御霊合戦とは


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畠山義就

 

御霊(ごりょう)合戦は、1467年の1月18日から19日にかけて京都で起こった戦です。

戦闘がおこなわれた神社にちなんで、上御霊神社(かみごりょうじんじゃ)の戦いとも呼ばれています。

たった2日間だけの戦いが、なぜその後11年間も京都で続いた応仁の乱のきっかけとなってしまったのでしょうか?

 

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きっかけは畠山家の内紛

 

畠山(はたけやまし)氏は、室町幕府の管領(かんれい)として、政務を行う一族でした。

その畠山家の当主に、室町幕府8代将軍の足利義政(あしかがよしまさ)の介入もあり、畠山義就(はたけやまよしなり)が就任しました。

しかし、義就は母親の身分が低かったこともあり、「義就を当主にするのは反対だ」という声も上がっていたのです。

それでも義就が当主になってすぐは何も起こりませんでした。

けれども、義就が将軍の反対を無視して大和国に対する軍事介入をたびたび行うようになると、

 

「やはり義就は畠山家の当主にはふさわしくない。

義就の従弟にあたる畠山政長(はたけやままさなが)こそが、畠山家の当主にふさわしい」と主張する勢力が、

 

後に応仁の乱の東軍総大将となる細川勝元のところに集まったのです。

畠山家のお家騒動なのですから、畠山氏だけで争っていれば良かったものの、この争いはどんどん他の守護大名を巻き込んでいき、

応仁の乱へと発展していきます。

 


 

焦る将軍義政、それでも戦いの火蓋が切られた

 

1467年の正月、畠山義就と義就を支持する守護大名である山名宗全(やまなそうぜん)は酒宴を開き、将軍足利義政とその弟、義視(よしみ)を招きました。

そこで義就と宗全は、将軍義政に向かって「畠山政長は管領にふさわしくない。辞めさせてほしい」とつめよります。

優柔不断な将軍義政は、義就と宗全の主張を受け入れ、政長を管領から解任してしまったのです。

これに対し、政長を支持していた細川勝元(ほそかわかつもと)は、大変な怒りを覚えました。

そして、勝元は自宅に兵を集め、戦の準備をするのでした。

それから間もなくして、畠山義就と畠山政長はそれぞれ京都で兵を集めました。

一触即発の状態です。

もし、両者が争えば、京都中が火の海になってしまいます。

将軍義政は焦りました。

義政は「京都で戦をしてはいけない、畠山家の内紛に誰も介入してはならない」という通達を細川勝元や山名宗全をはじめとする

諸大名に出しますが、もはや権威のない将軍の通達にいったいどれほどの効果があったのでしょう。

1467年1月18日、畠山義就の軍勢は畠山政長がたてこもる上御霊神社を襲撃したのでした。

 

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御霊合戦が、細川勝元と山名宗全の対立の原因に

細川勝元

 

1467年1月18日は、気温が低く、風がとても強い日でした。

そのため、戦の火の勢いは瞬く間に広まったのです。

畠山義就を支持する山名宗全は、将軍義政の通達を完全に無視して軍馬を出しました。

しかし、畠山政長を支持する細川勝元は将軍の通達を守り、軍馬を出さなかったのです。

戦の結果は当然、山名宗全の援軍がついた畠山義就側の圧勝となりました。

戦に負けた畠山政長は、やっとのことで細川勝元の邸宅に逃げ込んだのでした。

 

本来であれば、将軍からの通達を聞き入れた細川勝元のほうが正しい行動をしたといえるはずです。

しかし、権威の失墜した将軍の言いつけを守った細川勝元よりも、しっかりと援軍を出した山名宗全のほうに世間は味方しました。

「細川勝元は、守るべき対象がいたのに軍馬を出さなかった、武士として情けない」という世論になったのです。

これは、細川勝元にとって大変な屈辱でした。虎視眈々と、戦の準備をはじめるようになったのです。


  

 

 

応仁の乱ライター星野まなかの独り言

応仁の乱ライター星野まなかの独り言

 

こうして、細川勝元と山名宗全の全面対決が起こり、京都中が焼け野原となった応仁の乱が勃発したのです。

山名宗全が将軍義政の通達を守っていれば、歴史は違ったものになっていたのかもしれません。

 

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