三国時代の平兵士たちの給料は?戦死した場合遺族に補償はあったの?

2018年11月17日


 

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タイムトラベル

 

社会で頑張っている皆さん、お疲れ様です。

 

特に家族を養うために

社会で戦っている皆さんは

本当にお疲れだと思います。

 

そんな皆さんの疲れた心を癒してくれるのが

三国志』ですよね。

 

数多くの個性豊かな武将たちが

戦場で華々しく活躍する姿を思い浮かべると

一時だけでも日頃の鬱憤(うっぷん)を忘れられるものです。

 

しかし、やはり『三国志』に描かれている時代にも

皆さんのように家族のために一生懸命生きている

名も無い人たちはたくさんいました。

 

平社員ならぬ平兵士として

戦場を駆け回っていた名もなき人々。

 

彼らは戦争に参加することで給料をもらい

皆さんのように大切な家族を養っていました。

 

しかし、下世話ながら気になるのはその給料。

 

彼らは一体どのくらい給料をもらっていたのでしょうか?

 

関連記事:あなたが実際に兵士として戦場に行軍してみたらどれだけ大変なの?

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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お給料はお金ではなく現物支給

 

生きるために必要な営みといえば「食べる」こと!

人々が兵士に志願するのも「食べる」ためです。

 

そのため、

兵士たちの給料は食料が現物支給されていました。

 

食料は麦などの穀物が主だったようですね。

 

勤務した日にだけ

退勤時に「お疲れさん」と食料が配られていたらしく、

有給休暇なんて制度は当然ありませんでした。

 

そのため

病気や怪我で休むということは

家族を養わなければならない

兵士には気軽にできませんでした。

 

 

 

もらえるのは1日分の穀物だけ?

走っている兵士

 

働きさえすれば

食料をもらうことができた平兵士たちですが、

もらえる食料はそれほど多くなかったようです。

 

張鵬一『晋令輯存(しんれいいぞん)』によると、

西晋時代に西域警護に当たっていた

兵士たちの給料は麦6升。

 

現代の基準では、

1升=約1.8Lと定義されていますが、

その当時の1升=0.3Lほどだったため、

実質的には1升(1.8L)しか

麦をもらえなかったようですね。

 

1升=10合なので、

大家族や食べ盛りの男子がいる家庭で愛用されている

大きな炊飯器いっぱいに炊ける量を想像すれば

丁度いいかもしれません。

 

しかし、支給される穀物には

おそらくもみ殻も付きっぱなしだったため、

その分実際に食べられる量は

少なくなっていたと考えられます。

 

そうすると、

夫婦2人でつつましく暮らしているような兵士にとっては

十分な量だったかもしれませんが、

子だくさんで家族が多い兵士たちにとっては

1日もつかもたないかという分量。

 

仕事が休みの日は

家族にご飯を食べさせることができないと

嘆く兵士もいたことでしょう。

 

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食料の不足分は略奪で補う!

食料の不足分は略奪で補う!

 

家族にひもじい思いをさせてばかりだった平兵士も

ただただひもじさに耐え忍んでいたわけではありません。

 

戦に出かけた際には

いつも略奪の機会を窺っていました。

 

通りがかる町や村で家々を襲って食料を奪い、

家族のために持ち帰っていたのです。

 

もちろん、

このような行為は褒められたことではありませんし、

軍規で取り締まる将軍もたくさんいました。

 

しかし、多くの平兵士たちは

自分の家族を養うために

必死で略奪行為に励んでいたようです。

 

 

一家の大黒柱の平兵士が死んだら家族は…?

 

様々な保険や保障が充実している現代では

一家の大黒柱が亡くなってしまっても

遺された家族たちの生活は保障されますよね。

 

しかし、三国時代にはそんなものがあるはずもなく、

大黒柱を失った家族は

子どもも大人も必死で働いて

食い扶持を稼いでいたようです。

 

それでも、

やはり大黒柱がいたときのような暮らしはできなくなってしまうので、

幼い子どもが栄養失調で死んでしまうといった

第二の悲劇が起こることもあったでしょう。

 

ただ、例外的に

その死後に家族の生活が保障されることもあったようです。

 

その代表的な例が、

かの有名な合肥(がっぴ)の戦いで活躍した決死隊。

 

張遼(ちょうりょう)

「死後に家族の生活を保障する」

と叫んだことによって

集まった800人あまりの兵たちの家族は

大黒柱を失っても

張遼の保護を受けて

何不自由ない生活をすることができたようですね。

   

 

三国志ライターchopsticksの独り言

 

今も昔も変わらず戦うお父さんは

大変な苦労をしていたようですね。

 

誰かにその名を知られることもなく

死んでいった平兵士たちですが、

彼らがいてくれたからこそ天下はめぐり、

命のバトンはつながれていったのでしょう。

 

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