三国時代には「撃壌」という遊びが流行していた!?

2018年11月30日


 

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撃壌

 

英雄たちが群雄割拠(ぐんゆうかっきょ)した三国時代。彼らはいつも戦に身を投じていて娯楽に励む暇さえも無かったのではないかと思う人は多いと思います。しかし、彼らは意外と色々な遊びに興じていた様子。今で言うところの囲碁だったりスリッパ飛ばしだったり…。…スリッパ飛ばし!?

 

実は、そんな小学生の遊びのようなものが人々の間で流行っていたのだそう。その名も撃壌。(げきじょう)今回はその「撃壌」がどのようなものであるかをご紹介したいと思います。

 

 

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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呉の盛彦が詠った「撃壌」

呉の盛彦が詠った「撃壌」(政治家)

 

三国時代には呉に仕え、その後呉が晋に飲み込まれた後は晋に仕えた盛彦(せいげん)という人物がいました。彼は詩文に秀でた人物だったようで、「撃壌賦(げきじょうふ)」という詩を作っています。衆戯の楽しみ為るを論ずるに、独り撃壌のみ娛たるべし風に因りて勢いを托し一つに罪して(ふた)つを殺す。

 

民衆の遊戯の楽しいものを論ずる際にはただ撃壌だけが面白い。風によって勢いをつけて片方に罪を着せてそのどちらも殺してしまう。…撃壌の遊びが何より面白いというのはなんとなくわかりますし、きっと撃壌という遊びが何たるかを語っているということもわかるのですが、罪だの殺すだのだのという物騒な言葉が並んでいて盛彦のこの詩では結局「撃壌」がどんな遊びかわかりませんね。

 

一体「撃壌」とはどんな遊びなのでしょうか…!?

 

 

 



「撃壌」はどんな遊び?

 

「撃壌」とは、大昔、伝説の尭帝(ぎょうてい)の時代には既に世の人々に親しまれていた遊びなのだそう

 

ゲタを地面にさし、30~40歩離れたところからもう片方のゲタを投げて地面にささったゲタに当てるというスリッパ飛ばし兼的当てのようなゲーム。現代のスリッパ飛ばしは足で飛ばさなければなりませんが、手で飛ばせるゲームだったということで難易度はそれほど高く無さそうですね。そしてどうやら地面にさされた方のゲタは罪人にたとえられたのだそう。

 

そのために盛彦は「一つに罪する」と詠っていたのですね。一方、「両つを殺す」ですが、ぶつけた方もぶつけられた方も壊れるということでしょうか…?もしそうだとしたら想像以上に激しいゲームだったと考えられますね。実はこのゲームは遥か昔に人類が農耕や牧畜ではなく狩猟によって生活していた頃、石などを投げて遠くの生き物を倒していたことを起源にしているのではないかと言われています。そんなわけで、両方のゲタが壊れるほどの勢いが要されるのも当然といえば当然なのかもしれません。

 

 

ところが、この「撃壌」という遊びはそもそもおじいちゃんたちの間で始まったのだとか。ゲートボール感覚だったのでしょうか…?こんな激しい遊びをしていたなんて大昔のおじいちゃんたちは本当にすごいですね。

 

 

呂布対項羽

 

 

曹植も「撃壌」を詠った

曹丕

 

 

撃壌という遊びは三国時代には中国の至るところで行われていたらしく、魏の曹植(そうしょく)も「名都篇(めいとへん)」という詩に詠んでいます。

 

 

名都に妖女多く、京洛少年を出す。宝剣が千金に(あたい)し、被服は麗にして且つ鮮やかなり。鶏を東郊の道に闘わせ、馬を長楸の間に走らす。馳騁未だ半ばすること能わざるに、双兔我が前を過る。

 

弓を()りて鳴鏑を(はさ)み、長駆して南山に上る。左に()きて因りて右に発し、一たび(はな)てば両禽連なる。余巧未だ()ぶるに及ばず、手を仰ぎて飛鳶(ひえん)(むか)う。観る者は(みな)善しと称し、衆工我に(けん)を帰す。帰り来りて平楽に宴し、美酒斗十千あり。

 

鯉を(なます)にし胎鰕(たいか)(せん)にし、

(すっぽん)()熊蹯(ゆうはん)(あぶ)る。

(ともがら)に鳴き匹侶(ひきりょ)(うそぶ)き、

列坐長筵(ちょうえん)()う。

連翩(れんべん)として鞠壌(きくげき)を撃ち、

巧捷(こうしょう)惟れ万端なり。

白日西南に馳せ、

後継(とど)むべからず。

雲散して城邑に還り、

清晨に復た来り還る。

 

 

曹植

 

曹植をはじめとする貴公子たちが1日中遊びに興じ美食を楽しむ様子が描かれているこの詩にも「鞠壌を撃つ」という言葉が見えます。この言葉は「鞠を蹴ったり壌を撃ったりする」すなわち「蹴鞠をしたり撃壌をしたりする」と解釈されます。魏の貴公子たちの間でも「撃壌」が楽しまれていたということが窺えますね。

 

 

 

三国志ライターchopsticksの独り言

三国志ライター chopsticks

 

最初は暇な老人たちの間で行われていたという「撃壌」がいつの間にか若者たちにも遊ばれるようになったというのは何だか面白いですよね。木片があれば誰でも手軽にできる遊びなので皆さんも機会があれば是非やってみてくださいね。

 

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清朝考証学を勉強中。 銭大昕の史学考証が専門。 片田舎で隠者さながらの晴耕雨読の日々を満喫中。 好きな歴史人物: 諸葛亮、陶淵明、銭大昕 何か一言: 皆さんのお役に立てるような情報を発信できればと思っています。 どうぞよろしくお願いいたします。

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