孫呉の創始者・孫堅。そして孫堅の息子で孫呉の基盤を作り江東・小覇王と呼ばれた孫策。この親子には似ている所が多々あります。例えば孫堅・孫策は勇猛果敢で戦に強い人物であった点が共通点として似ている所でしょう。また二人は志半ばで非業の死を遂げてしまった所も似ている所です。では二人が似ていなかった点はあるのでしょうか。今回はこの親子の似ていない点をピックアップして紹介したいと思います。
孫堅と孫策の似てない所その1:孫策の方がイケメンだった!?
孫堅と孫策の似てない所のその1として孫策の方がイケメンだった所ですが、孫堅が不細工だったわけではありません。孫堅の容姿は正史三国志によるとその顔は非凡と書かれているだけです。もしかしたら孫堅は知的な顔立ちをしていたのかもしれません。勇猛果敢な武将として知られている孫堅が知的な顔立ちをしていたとすれば、ギャップがあり、ギャップ萌えする女性も当時いたのかもしれません。では孫策はどのような容姿をしていたのでしょうか。
孫策は正史三国志によると容姿は美しくとあり、当時の女性からかなりモテモテであったと思われます。また孫策はオシャレであったらしく完全にイケメンな人物であったことが伺えます。孫策は父・孫堅よりも母親に似ていたのかもしれませんね。
孫堅と孫策の似ていない所その2:残虐性の無い性格
孫堅と孫策の似ていない所その2としては残虐性の無い性格です。父・孫堅も董卓討伐戦の時、自分に協力しない太守を殺害してしまいますが、孫堅には連合軍に参加するとの大義名分があったため、一応私情で殺害したわけではありません。
しかし孫策は感情に任せて人を殺害してしまう残虐性を持っていました。その孫策が私情で殺害してしまった一例として一つのエピソードを紹介しましょう。孫策は「春秋左氏伝」を読み込んでいました。そして高名な学者として有名な高岱という人物と「春秋左氏伝」について議論をしたいと思い彼を丁重に迎えようとします。
高岱は孫策に呼ばれて出発の準備をしている所に知り合いから「孫策は自分より優れている者を嫌いますから、孫策の前で春秋左氏伝についてあまりべらべら議論をしない方がいいですよ」と告げられます。高岱はこの言葉を信じてしまい孫策の元へ向かいます。
孫策は高岱がやってくる前に臣下から「高岱は将軍の事を武勇のみのイノシシ野郎だと思っており、議論を吹っ掛けても無視するはずですよ」と高岱の悪口を孫策に流し込み、孫策もこの言葉を信じてしまいます。
さて両者は会見を果たすことになり、孫策が高岱へ春秋左氏伝について議論を吹っ掛けますが、高岱は何にも答えませんでした。孫策は臣下の言う通り高岱が何にも話さない為、怒ってしまい彼を牢獄にぶち込んでしまうのでした。孫策は彼を牢屋に入れた後、多くの臣下や民衆が彼を許してくださいと直訴してくるものが多く、城の周囲には彼の許しを請う民衆たちで人だかりができるほどでした。
孫策は自分よりも高岱の方が人気があることを知り激怒し、彼を殺害してしまうのでした。このエピソードのほかにも魏騰という人物を孫策が私情で殺害しようとしていた描写が正史三国志・呉夫人伝に描かれています。このように孫策は自らの感情に任せて気に食わない人物を殺害してしまう点では孫堅と全然似ていない所と言えるでしょう。
三国志ライター黒田レンの独り言
孫堅・孫策共に英雄と言えるほどの器量をもっていた人物で、似ている所も多くある親子です。似ている所も多くある親子ですが、やっぱり父と子では似ていない所もあり、このようにあんまりピックアップされない所を知ることで、より三国志の武将を深く知ることになるのではないのでしょうか。
■参考 正史三国志呉書など