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たった26年の生涯を駆け抜けた小覇王・孫策

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ゆるい許褚

 

慣用句に力量が同等で甲乙付け難い事を「実力伯仲」と言いますよね?

この伯と仲は中国で、長兄と次兄の事を意味しています。

 

中国人の名前は、字名が兄弟順に決まっていて、一番最初の長兄には、

「伯」という漢字をあて、次兄には「仲」を当てます。

 

簡単に紹介しますと長男が「伯」次男は「仲」三男は「淑」末子は「季」

というようになっています。

 

つまり、実力伯仲とは、長兄と次兄は、年齢が近いので甲乙付け難い

どっちが一番と見極めにくいという意味なのです。




 孫策(そんさく)と孫権(そんけん)の英雄

孫策

 

それは、孫策(そんさく)孫権(そんけん)二人の英傑にも当てはまりました。

孫策(そんさく)は長兄で孫策伯符(そんさく・はくふ)、

孫権は次兄で孫権仲謀(そんけん・ちゅうぼう)二人は年齢こそ、

6歳違いますが、いづれ劣らぬ英傑として称えられたのです。

 

しかし、孫策(そんさく)には孫権(そんけん)とは違う、

崩壊寸前だった孫家を立てなおした陰の功績があります。

二人は対立する存在というより、二名いなければ、

呉は存在できなかったと言えるのです。

 

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偉大な父・孫堅(そんけん)

孫堅

 

さて、事実上の反菫卓(とうたく)連合軍最大の功労者である

偉大な父、孫堅(そんけん)は、劉表配下の黄祖を討伐しようとして

無謀な戦いを起こし、戦死してしまうという悲劇を招きます、孫策は17歳でした。

 

時に西暦192年、弟孫権(そんけん)は、まだ10歳の少年、、

孫家の運命は、弱冠17歳の孫策(そんさく)の肩に背負われます。

 

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袁術(えんじゅつ)に吸収された孫家

袁術 伝説 ゆるキャラ

 

孫堅(そんけん)の死により、孫家の軍勢は、

上司である袁術(えんじゅつ)に吸収され、孫策(そんさく)も

袁術(えんじゅつ)の部下からの再スタートを余儀なくされます。

 

初陣は、丹陽の一揆の鎮圧でしたが、それでも17歳には荷が重く

一揆軍の首領、祖郎(そろう)に敗北、命からがら袁術(えんじゅつ)の

下に逃げ帰ります。

 

関連記事:孫策を自分の息子にしたいと思っていた袁術

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孫策(そんさく)は袁術(えんじゅつ)に軍の返却を求める

袁術と孫策

 

ですが、それに奮起した孫策(そんさく)は武勇も兵法の腕も磨いていきます。

西暦194年、19歳の孫策(そんさく)は上司である袁術(えんじゅつ)に対し、

孫堅(そんけん)が持っていた兵力の返還を要求しました。

 

すでにこの頃には、袁術(えんじゅつ)の代理として劉表(りゅうひょう)や

袁紹(えんしょう)とも戦い勇猛な将軍の片鱗を見せ始めた孫策(そんさく)を

袁術(えんじゅつ)は重宝すると同時に気に入り、たった1000名ではありますが、

孫堅(そんけん)の軍勢を孫策(そんさく)に返します。

 

返却してもらった軍には大物揃い

孫呉(孫権黄蓋陸孫周瑜周泰) 

 

ところが、この1000名には、後に呉の大黒柱になる多くの

武将が含まれていました。

 

朱治(しゅち)黄蓋(こうがい)程普(ていふ)韓当(かんとう)

頼もしい武将達が孫策軍の力を強くして行ったのです。

 

孫策(そんさく)は、猜疑心が強く、人をただでコキ使う袁術(えんじゅつ)の

力量の小ささに呆れ果てていて、いつでも独立できるように時間を割いては、

人材スカウトに余念がありませんでした。

 

孫策(そんさく)の元に更に人材が集まる

周瑜 孫策

 

張紘(ちょうこう)張昭(ちょうしょう)といった智謀の士や、

蒋欽(しょうきん)凌操(りょうそう)周泰(しゅうたい)陳武(ちんぶ)

といった武勇の士も孫策(そんさく)の魅力に引き付けられ、集まっていきます。

 

孫策(そんさく)は父孫堅に似て、短気でカッとしやすい性格ですが、

基本的には、おしゃべりを好み、親しみやすい雰囲気があり、

また、大変な美男子であったと記録されています。

 

孫策(そんさく)に人材が集まるにつれて、袁術(えんじゅつ)は、

ますます孫策(そんさく)への猜疑心を強くしていきます。

 

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袁術(えんじゅつ)、孫策に対して恐れを抱く

袁術くやしいいい

 

これ以上、袁術(えんじゅつ)の下にいるのは危険だと判断した

孫策(そんさく)は、側近の朱治(しゅち)の助言を入れて、

袁術(えんじゅつ)と揚州を争っている劉繇(りゅうよう)討伐に

参加したいと袁術(えんじゅつ)に申し出ます。

 

しかも、援軍も無しに、孫策(そんさく)配下の1000名の兵だけでやると言います。

 

「ふん、若僧め、たった千名で劉繇に勝てるつもりか?

まあ良い、、仮に戦死したら始末する手間が省けるというもの、、

もし、勝てばこちらは兵力を減らさず揚州を手に出来るし、、

どっちに転ぼうがワシには得しかないわい」

 

袁術(えんじゅつ)は喜んで許可を出します。

それは、袁術の勢力下から合法的に抜け出す為の朱治(しゅち)の巧妙な罠でした。

こうして孫策(そんさく)はまんまと袁術(えんじゅつ)の下から

分離する口実を手にいれます。

 

 

周瑜も軍に加わる

周瑜 美男子

 

たった1000名の孫策(そんさく)軍でしたが、歴陽という土地で

思わぬ再会が孫策(そんさく)を待っていました、それは周瑜(しゅうゆ)との再会です。

幼馴染だった二人は、意気投合し周瑜(しゅうゆ)は軍に加わる事になります。

 

周瑜(しゅうゆ)からの補給と応援の兵、

そして、孫堅(そんけん)の時代からのツテで続々と兵が集まり、

孫策(そんさく)軍は、5000名にまで兵力を増強させていました。

 

西暦195年、劉繇(りゅうよう)は孫策(そんさく)に敗れて

曲阿(きょくあ)に逃亡、、孫策(そんさく)はさらにこれを

追討して曲阿からも劉繇(りゅうよう)を追い出して、

ここを拠点に据えて、長江から南の江東の攻略に着手します。

 

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 孫策(そんさく)、独立に成功

孫策 頬

 

ここに事実上、孫策(そんさく)は袁術(えんじゅつ)の手を離れて

独立した君主になる事に成功します。

 

西暦196年、孫策(そんさく)は呉郡の首領である許貢(きょこう)、

さらに会稽郡の王朗(おうろう)を攻略、劉繇(りゅうよう)の部下で

当時は独立勢力になっていた猛将太史慈(たいしじ)も降伏させて

自軍に引きこんで巨大な勢力に成長していきます。

 

西暦197年、孫策(そんさく)が侮りがたい勢力を持つに至った事を知った

袁術(えんじゅつ)は、一族の袁胤(えんいん)を丹陽太守に任命して

孫策(そんさく)を牽制しようとします。

すると孫策(そんさく)は、兵を送ってこれを撃破してしまいました。

 

「おのれ、小僧、、孫堅が死んだ時に拾って面倒を見てやった恩も忘れおって

所詮、下賤な狂犬の子供は狂犬よ、、どうするか見ておれ!!」

 

怒った袁術(えんじゅつ)は、一揆軍の勢力を扇動して孫策(そんさく)に

立ち向かわせます、

 

それが17歳の頃に孫策(そんさく)に苦杯を嘗めさせた祖郎(そろう)

という男ですが、22歳になっていた孫策(そんさく)は、

これを簡単に撃破して自分の家来にしてしまいます。

 

袁術(えんじゅつ)は、すでに皇帝を称して贅沢な暮しを行っている上に、

度重なる負け戦と飢饉で兵力がガタ落ちし、これ以上孫策(そんさく)に

対抗する力はありませんでした、、

 

孫策(そんさく)の急激な進撃に寿命を縮める事に

孫策の人生に一辺の悔い無し

 

これより4年後の西暦200年、孫策(そんさく)は急激すぎる進撃が

対抗勢力の恨みを買い許貢(きょゆう)が放った刺客に襲われ、

たった26年の生涯を閉じます。

しかし、それまでに崩壊寸前だった孫家の基盤は固まり、それどころか、

基盤を引き継いだ孫権(そんけん)により三国の一角、呉の基盤が造られたのです。

 

生涯の殆どを戦場で送った小覇王孫策(そんさく)、、その短くも太い光を放った

人生は、やはり格好イイとしか言いようがありません。

 

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この記事を書いた人:kawauso

kawauso

自己紹介:

三度の飯の次位に歴史が大好き

10歳の頃に横山光輝「三国志」を読んで衝撃を受け
まずは中国歴史オタクになる。
以来、日本史、世界史、中東、欧州など
世界中の歴史に興味を持ち、
時代の幅も紀元前から20世紀までと広い。
最近は故郷沖縄の歴史に中毒中、、

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