山南敬助といえば、2004年の大河ドラマ『新選組!』で堺雅人が演じてから人気が出た人物です。堺雅人は、三谷幸喜の作品で、2016年の大河ドラマ『真田丸』において真田幸村役で主演を演じるなど最も注目される俳優の一人となりました。今回は山南敬助について取り上げます。
山南敬助とは?
山南敬助は1833年に生まれました。仙台藩出身で、江戸で小野派一刀流の免許皆伝を受けました。その後、北辰一刀流の門人となってから近藤勇の天然理心流の道場試衛館に試合を挑みます。試合の結果、近藤勇に負けましたが、山南は近藤の人柄に感服するようになり、試衛館の門人とともに行動します。後に土方歳三・沖田総司・永倉新八らが加わって壬生浪士組・新選組の隊士となりました。
新選組で総長となった山南敬助ですが、1865年2月に新選組を脱走しました。新選組の掟では、脱走すると切腹しなければならないという決まりでした。局長の近藤勇は沖田総司を山南の追っ手として差し向けます。山南は近江国の草津を目指している途中で、沖田に追いつかれ、連れ戻されました。連れ戻された山南は切腹しました。
山南敬助の脱走の原因(理由)とは?
脱走要因として新選組の屯所移転問題が有力のようです。新選組は前進の壬生浪士組の頃から八木邸を屯所としていましたが、隊士が増えたため手狭になりました。屯所を八木邸から西本願寺へ移転することを決めました。西本願寺に屯所を移す狙いはどこにあるのでしょうか。西本願寺は尊王攘夷派の長州藩と親交があり、西本願寺に新選組の屯所を移すことで長州藩を牽制しようという狙いがあったと考えられます。
しかし、山南敬助は近藤らの新選組屯所の移転に反対します。近藤らは山南の反対意見を受け入れなかったため、山南は新選組との決別を意識して脱走しました。
山南敬助の刀
山南敬助の刀は赤心沖光といわれています。記録に寄れば、岩城桝屋事件で山南敬助が浪人と斬り合いになったときに使っていたということです。山南は浪人との斬り合いで、記録にある肖像画において刀が折れ、刃こぼれや血糊が付着している刀が描かれています。山南は岩城桝屋事件での戦いが評価され、会津藩から8両の報賞金を受け取りました。
山南敬助と遊女明里
2004年の大河ドラマ『新選組!』では、山南敬助が新選組を脱走する際、女性を連れていたことを思い出した人がいるかもしれません。この女性は明里といい、山南が遊郭に通っていたときの女性です。
大河ドラマなどでは、山南と明里の別れのシーンで、格子戸越しで会話をしていたことを思い出すかもしれません。このシーンについては、記録がないことから創作ではないかといわれています。最新の研究に注目したいと思います。
幕末ライターオフィス樋口の独り言
今回は山南敬助について取り上げました。2004年の大河ドラマ『新選組!』で堺雅人が演じてから人気が出た隊士の1人です。大河ドラマの人気から山南が埋葬された光縁寺、旧前川邸や壬生寺など山南敬助に関連する場所を訪れる観光客が爆発的に増えました。2007年3月に旧前川邸界隈にて山南を弔う「山南忌」が行われ、隊士個人を弔う催しとして近藤勇・土方歳三・沖田総司・斎藤一に次いで5人目となりました。
旧前川邸と壬生寺は阪急京都線の大宮駅と京福電鉄四条大宮駅から徒歩8分の場所にあります。この辺りには新選組が壬生浪士組の頃から屯所としていた八木邸もあります。
山南敬助が埋葬された光縁寺は阪急大宮駅と京福電鉄四条大宮駅の近くにあります。八木邸や旧前川邸に行く途中にあります。光縁寺は新選組の馬小屋があった場所で、屯所していた頃から住職と親交があったといわれています。新撰組の隊士の山南敬助だけでなく、多くの隊士も弔われています。
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