鎌倉時代、日本の農業は大きく進歩しました。特に、西日本では二毛作が始まりました。この二毛作によって、春から夏にかけては米を作り、夏から秋にかけては麦を作るというようになり、同じ田んぼを1年のうちに2回活用するようになりました。これにより、農業の生産は大幅に向上したのです。
ところで、鎌倉時代の武士はものすごい量のお米を食べていました。基本的に食事の回数は1日に2回でしたが、戦のときになると1日に3〜5回も食事をしていました。出陣したときに食べられるようにするため、おにぎりが誕生したのはこの鎌倉時代なのだそうです。
現代の私たちは、基本的には精米した白米を食べることが多いです。しかし、鎌倉時代の武士たちは玄米を蒸して食べていました。これを、「強飯」といいます。強飯は、精米した白米と比べると食べづらいですが、ビタミンBをはじめとする栄養が豊富に含まれていました。
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鎌倉時代の武士たちの食べ物
武士たちは、この強飯に合わせて新鮮な野菜や魚を、過度な味付けをすることなく食べていました。醤油のもととなった調味料である「溜(たまり)」も鎌倉時代に初めて登場しました。
溜の他には、塩や味噌が味付けに使われていました。
鎌倉時代の武士たちの食事は栄養バランスが良く、とても健康的なメニューであるため、日本史を研究している大学教授や料理愛好家が史料をもとに独自に再現するという試みも行われています。「自分は今、源頼朝と同じメニューの食事をしているのかも…」なんて考えたら、なんだかワクワクしてしまうかもしれません。一番簡単に真似できそうなのは、梅干しをのせた強飯、干し魚、昆布と煮ゴボウ、そして白く濁ったお酒を少し…というメニューです。
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貴族の食べ物
さて、鎌倉時代の貴族たちは、平安時代の流れを受け継いだ食生活を送っていました。品数は多かったけれど、不健康な食生活でした。まず、武士が玄米を蒸した強飯を食べていたのに対し、貴族は精米した白米を食べていました。この貴族たちが食べていたお米のことを「姫飯」といいます。姫飯は柔らかくて食べやすいのですが、栄養価の高い胚芽が取り除かれてしまっていました。
また、おかずは保存食が中心でした。産地から遠く離れた京の都まで運んでくる途中に腐ってしまうことがないように干物か塩漬けにされていたので、貴族が新鮮な食材を口にすることができたのは、近隣の琵琶湖で採れた魚介類以外はとても難しかったのです。
また、貴族の食事には細かい作法が定められており、現在では考えられないような食事にまつわる迷信もありました。そのため、食事内容に制約がかかり、同じメニューが何日も続く…ということもあったのです。
不健康な食生活に加えて、室内中心の生活を送っていた貴族たちは運動不足でもあり、そのため栄養失調や脚気、夜盲症などに罹り、命を落とすことが多くありました。
庶民の食べ物
鎌倉時代、庶民たちも1日2食でした。しかし、その内容はとても質素なもので、麦やアワをかゆ状にすることによって、かさ増しして食べていました。また、鎌倉時代を襲った凶作や飢饉のときは本当に食べるものがなく、たくさんの餓死者が出てしまいました。
鎌倉武士の強さは、栄養バランスのとれた食事からきていた
鎌倉時代、源氏をはじめとする武士たちは、質素ながらも非常に栄養バランスの整った食事をとっていました。しかし、貴族たちと交わることが多かった平氏は、食生活も貴族と同じようにしていたのです。栄養価の高い強飯や良質なたんぱく質をとっていた源氏と、貴族のような保存食を中心に食べていた平氏では、いざ戦となったときに力の差が歴然でした。
栄養価の高い食事が、源氏を勝利に導いた、といっても過言ではないのかもしれません。また、元寇のときも、良質な食べ物から作られた力強い筋肉を持つ武士たちが戦ったからこそ、元軍に勝つことができたのでしょう。
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