鎌倉時代になると、産業や経済が大きく発展しました。その背景としては、農業の生産性が向上し、収穫が増えたこと、貨幣経済が浸透したことなどが挙げられます。それに伴い、富を蓄える農民もでてきました。
また、鎌倉時代は商業活動も活発になった時代でした。
この時代は、武士の活躍というイメージが強いですが、産業という観点から人々の生活を見てみると、鎌倉時代のまた違った一面を知ることができるかもしれません。
もっともポピュラーな産業は農業だった
鎌倉時代、中心となった産業は農業でした。
この時代になると二毛作が始まって、1年のうちに異なる農作物を2回収穫できるようになりました。また、牛や馬に畑を耕させる、ということも行われるようになりました。これらによって、鎌倉時代に農業の生産性は大幅に向上したのです。
また、鎌や鍬といった農業用具が発展し、田んぼをより深いところまで耕せるようになったことも、農業の生産性の向上に一役買っていたのです。
ちなみに、鎌倉時代に武士たちは玄米を蒸した「強飯」、貴族たちは精米した白いお米である「姫飯」を食べていました。また、貧しい農民たちはヒエやアワといった雑穀を、雑炊のようにしてカサ増しすることで、腹持ちをよくしながら食べていたのです。
さまざまな手工業
鎌倉時代、さまざまな手工業が発展しました。現在「伝統工芸品」と呼ばれているものの原型となったものもあります。
農業の生産性が向上したため、手工業の原材料が多く収穫できるようになりました。そして、農民たちは農業の合間に桑・麻・こうぞ・漆・藍・茶・えごまなどを生産していました。
例えば、こうぞは樹皮が和紙の原料になり、漆は樹皮から絞った液が器などの塗料になりました。これらは領主に貢納され、残りは市で他の品々と交換されるようになりました。
このとき手工業で作られた品々は、原材料が大量生産されることによって成り立っていたのです。
定期市も開かれるように!
鎌倉時代、手工業品が商品化したことによって、商業活動が活発になり、定期市が開かれるようになりました。市では手工業品が盛んに取引され、地方からの特産物はとても重宝されました。これらの背景には、鎌倉時代、貨幣経済が浸透したということが挙げられます。今までは土地を買うにしても米を対価として支払い、欲しいものがあるときは、物々交換によって手に入れていました。
しかし、宋銭が日常生活においても広く使われるようになったため、欲しいものはお金を支払い、手に入れるという現在と同じ仕組みが成り立ったのです。平安時代末期、平清盛が平家の繁栄のために取り入れた宋銭は、鎌倉時代になって人々の生活を大きく変える重要な役割を果たしたのです。ちなみに、宋銭はひもに通し、繋いだかたちで取引に使われていました。「山王霊験記」には、ひもに通した宋銭と、お金を借りに来た女性の様子が描かれています。
高利貸業も盛んになった鎌倉時代
貨幣経済の発展に伴い、鎌倉時代は高利貸業も盛んになりました。
鎌倉時代に登場した土倉は、現在の質屋と同じようなシステムでした。物品を担保とし、金銭を高利で貸し出していたのです。
また、鎌倉時代は不安定な社会であったため、災害などに備えるために、土倉を持つ商人に大切な財産を預ける、という風潮もありました。
土倉は朝廷や幕府、庶民にいたるまで、人々の生活に浸透していったのです。
鎌倉時代は、農業の発展や手工業の商品化、そして高利貸業の登場など、それまでの時代と比べると様々な産業が大きく成長した時代だったのです。
これらの産業は、宋銭の流通があったから成長したと知ったら平清盛はいったいどんな顔をするのでしょうか?
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