太史慈と劉備はあの有名人を助けたら人生が変わった!?

2019年1月10日


 

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太史慈

太史慈

 

太史慈(たいしじ)劉備(りゅうび)の運命を変化させてたのは色々な出来事の積み重ねですが、三国志の有名人を助けた事で二人の人生を変化することになるのです。

さて二人の運命を変化させた有名人とはいったい誰なのでしょうか。

 

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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太史慈と劉備の接点とは

劉備

劉備

 

太史慈と劉備には接点があり、このふたりがいなければ三国志のチョー有名人であるあの人がいなかったかもしれません。

さて二人にはどのような接点が有り、三国志のチョー有名人とはいったい誰を指しているのでしょうか。

 

 

 

三国志のチョー有名人から恩を受ける

腐れ儒者気質な孔融

孔融(こうゆう)

 

太史慈は青州で事件を起こし、遼東半島へ逃亡していた時期がありました。

彼の母親は太史慈が逃亡した後も家に残って暮らしていましたが、三国志のチョー有名人が太史慈を気に入って、彼の母親に生活資金や日配品などの

援助を行っておりました。

さて今回の登場人物である三国志のチョー有名人とはいったい誰でしょう。

正解は孔融(こうゆう)です。

 

彼は春秋戦国時代に活躍した孔子の末裔(まつえい)で、三国志の中でもかなりの有名人です。

さて三国志の有名人・孔融は太史慈の母親の援助を途中で打ち切ってしまいます。

どうして孔融は太史慈の母親の援助を打ち切ったのでしょうか。

その理由は青州で暴れまわっていた黄巾賊が孔融の居城を包囲したことが原因でした。

さて太史慈ですが、逃亡生活を終えて母親の元へ帰ってきます。

 

袁術祭り

 

 

母親の言葉を聞いて

 

太史慈は家に帰ると母親から「お前は孔融殿と面識がないにもかかわらず私は孔融殿から色々な贈り物をもらいました。

孔融殿は今黄巾賊の包囲を受けています。お前はすぐに孔融殿を助けに行きなさい」と説得。

太史慈は母へ援助をしてくれた孔融を助けに孔融の居城・都昌へ向かいます。

 

 

「黄巾賊をすぐに打ち破って見せます!!」

孔融にお願いをする孔融

 

太史慈は黄巾賊が包囲している都昌に到着するとすぐに城へ乗り込んで孔融と会見。

太史慈は孔融と会見すると「私が兵を率いて賊徒を蹴散らしてきます」と進言します。

しかし孔融は「援軍が来てから黄巾賊を一緒に打ち破る方がいい」と言って太史慈の作戦を却下。

その後孔融は援軍が来るまで待っていましたが、黄巾賊の攻撃が激しくなってきた事に焦りを感じ始めます。

そして孔融は側近達へ「私は劉備殿に助けを求めたいのだがどうか」と包囲を脱出して劉備の元へ向かうことができる人物を求めますが、

誰もいませんでした。

太史慈は孔融へ

「私の母があなた様から恩を受けました。今こそ恩を返す時であると考えます。

私が黄巾賊の包囲を抜けて劉備殿の元へ向かいましょう」と進言。

孔融はこの進言を聞いて感動し、太史慈に劉備の元へ向い援軍をお願いしてくるように要請するのでした。

 

劉備との接点

太史慈

 

太史慈は黄巾賊の包囲を抜けて劉備の元へ到着することに成功します。

太史慈は劉備と会見すると

「孔融様はあなた様を非常に頼りにしております。どうか援軍を送ってください」と説得します。

すると劉備は

「そうか。孔融殿は私の事をご存知であったか。非常にうれしく思う。すぐに援軍を出発させよう」と言って

太史慈へ精鋭部隊3000を与えます。

太史慈は劉備から軍勢をもらうとすぐに都昌へ向かいます。

 

都昌を包囲している黄巾賊は太史慈が援軍を連れてくると城の包囲を解いてすぐに逃亡するのでした。

こうして太史慈と劉備は孔融を助ける事に成功。

そして孔融を助けた事で二人の人生が大きく変化することになるのですが、どのように人生を変化したのか。

黒田レンの独り言でご紹介しましょう。

 

三国志ライター黒田レンの独り言

三国志ライター黒田レン

 

さて太史慈と劉備の運命はどのように変化をしたのでしょうか。

まずは太史慈です。

太史慈は孔融を助けた事で、彼の名声がますます高まっていくことになります。

そして彼の名声が高まった事が孫策(そんさく)に仕えた時に大きな役割を果たすことになります。

もし太史慈が孔融を助けなければ、彼の名声が孫策に届くほどの大きなものにならず、孫策に仕えることが出来なかったかもしれません。

また劉備は孔融を救ったことがきっかけで徐州を手に入れるかどうか迷った時、孔融からアドバイスをもらいます。

 

劉備は孔融のアドバイスを聞いたことがきっかけで、徐州を手に入れる事を決意し、群雄として独り立ちすることができる勢力を

持つことになるのです。

もし劉備が孔融を助けなければ、劉備が徐州を手にしなかったかもしれません。

劉備が徐州を手に入れなかったら、経済的な援助をしてくれる麋竺と会うこともできず、劉備が三国志に名を刻むこともできなかったかも知れません。

このように考えれば、孔融を通して二人の人生が大きく変わることになったと言えるのではないのでしょうか。

 

■参考 正史三国志呉書など

 

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黒田廉(くろだれん)

黒田廉(くろだれん)

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