これまで徳川慶喜の記事において、静岡での隠居生活での趣味に関するエピソードを取り上げてきました。しかし、これまでの記事において徳川慶喜のコーヒーに関する内容を取り上げませんでした。今回の記事では、徳川慶喜がコーヒー好きになった経緯と幕末のコーヒーの再現について取り上げます。
徳川慶喜とコーヒー
ここでは徳川慶喜とコーヒーとの出会いについて取り上げます。慶喜が15代将軍になった頃、パリで万国博覧会が開催されていました。弟で水戸藩主の徳川昭武が将軍慶喜の名代として出席しました。
当時、日本からパリまで50日近くかかる船旅でしたが、名代の徳川昭武は毎日フランス料理を食べていたといわれています。船旅でコーヒーを味わったといわれています。昭武の日記にコーヒーを飲んだ感想が書かれています。一方で、昭武以外の帯同していた日本人はコーヒーを飲んで苦い・焦げ臭いという感想を口にしていました。
将軍の名代として徳川昭武はパリ万国博覧会に出席していましたが、15代将軍慶喜が大政奉還をしたことに伴い、帰国しました。戊辰戦争勃発後から徳川慶喜は朝廷に恭順の意思を示すために謹慎生活を送っていましたが、謹慎が解かれて静岡で隠居生活を送るようになってからコーヒーを飲むようになったと思われます。
1893年、徳川慶喜は自宅のコーヒーが底をついたので、東京の出入り業者に隠居生活をしていた静岡の自宅に送り届けるように依頼したという記録が残されています。また、1897年にもコーヒーを送り届けさせたという記録があります。
幕末のコーヒーを再現する
2017年9月25日に徳川慶喜家の4代目で慶喜のひ孫に当たる徳川慶朝氏が亡くなりました。生前、茨城県ひたちなか市に本店がある「サザコーヒー」が慶朝氏と連携して徳川将軍珈琲を販売したことで話題になりました。President Onlineでは、徳川慶喜が味わったコーヒーを再現する様子が紹介されています。
徳川慶朝氏はカメラマンで都内の有名店に長年通いつめるぐらいコーヒーが好きでした。サザコーヒーと連携して幕末のコーヒーを再現するに当たって、慶朝氏はサザコーヒーにコーヒーの焙煎を学んだことがあります。
幕末のコーヒーはインドネシア産スマトラコーヒー豆の深煎りでした。当時のインドネシアはフランスの植民地でした。フランス産コーヒーはミルクとの相性が抜群で、徳川昭武は日記の中でもコーヒーとミルクとの相性について書かれています。
幕末のコーヒーを再現したコーヒーは「徳川将軍珈琲」としてサザコーヒーで販売されています。
幕末ライターオフィス樋口の独り言
今回は徳川慶喜とコーヒーとの関係について取り上げました。慶喜の弟の徳川昭武を通してコーヒーが伝えられたことが分かりました。静岡での隠居生活でコーヒーを注文していたという記録が残されていることも分かりました。
コーヒー好きな人は何杯も習慣で飲む読者がいるかもしれませんが、徳川慶喜と弟の徳川昭武も何杯もコーヒーを飲む習慣があったのかもしれません。幕末の当時のコーヒーを再現したコーヒーは「徳川将軍珈琲」としてサザコーヒーで購入することができます。コーヒー好きの読者に勧めたいと思いました。
最後に、将軍だけでなく庶民にコーヒーが広まったのは明治に入ってからといわれています。1888年に上野に開かれた可否茶館が日本で最初の喫茶店であるといわれています。その後、喫茶店が相次いで開業し、日本人の間にコーヒーが広まりました。
自動販売機やコンビニで購入できる缶コーヒーやインスタントコーヒーが私たちの生活の中で身近な存在となっていますが、インスタントコーヒーや缶コーヒーが普及したのは戦後です。上島珈琲が1970年の大阪万博をきっかけに缶コーヒーの売り上げを伸ばしました。缶コーヒーはUCCとして有名です。
関連記事:徳川慶喜は静岡で余生を過ごした?知られざる逸話とゆかりの地を紹介