本多忠勝の身長はどれくらい?愛用の蜻蛉切や黒糸威胴丸具足から身長推測

2019年2月16日


 

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イケメンすぎる本多忠勝

 

 

徳川四天王の一人・本多忠勝(ほんだ ただかつ
)
。本多忠勝は13歳で初陣を飾った後、ずっと戦陣に明け暮れていた武辺者です。

 

徳川家康と共に武功を重ねる本多忠勝

 

武田信玄(たけだしんげん)は本多忠勝の武辺を「家康に過ぎたるものが二つあり、唐の頭に本多平八」と褒めちぎっていました。そんな武辺者・本多忠勝の身長は一体どれくらいあったのでしょうか。

 

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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本多忠勝の身長はどれくらいあったの!?

本多忠勝

 

 

本多忠勝の身長はどれくらいあったのでしょうか。実は本多忠勝の身長の詳細についてはわかっていません。しかし本多忠勝が戦に使用していた甲冑等から推測することはできます。

 

 

 



本多忠勝愛用の蜻蛉切から身長推測

デタラメに強い本多忠勝

 

本多忠勝は戦に赴く際、必ず一本の槍を手にしていたそうです。その槍の名前は蜻蛉切と言います。この槍の名前ですが、蜻蛉切(とんぼきり)の槍の穂先にトンボが止まって真っ二つになったことが由来になっているそうです。蜻蛉切の長さは全体で二丈(約6メートル)程の長さで、装重量は500グラムほどだったそうです。

 

このチョー長い槍をぶん回すにはかなりの筋肉と身長がなければ振り回せなかったでしょう。そのため本多忠勝の身長は蜻蛉切から推測するに170センチ以上はあったのではないかと推測できます。次に本多忠勝が愛用していた鎧から身長を推測してみたいと思います。

 

 

本多忠勝愛用の黒糸威胴丸具足から身長推測

本多忠勝の単騎駆け

 

本多忠勝は愛用の蜻蛉切と一緒に黒糸威胴丸具足(くろいとおどしどうまるぐそく)の鎧を着て戦場へ出陣していたそうです。この黒糸威胴丸具足の鎧は胴高が39センチ、胴回りが122.5cmほどだったそうです。戦国時代に独眼竜(どくがんりゅう)と言われた伊達政宗(だて まさむね
)
は159.4センチ。彼が着用していた鎧の胴高は38センチでした。

 

そしてここから単純に計算して導き出すと本多忠勝の身長はあまり高くなく160センチを少し超えるほどだったと予測することができます。6メートルもの長槍・蜻蛉切を振り回していたにも関わらず、意外と本多忠勝の身長が低かったのです。

 

 

戦国時代の大名の身長は?

 

本多忠勝の身長は160センチを少し超えるほどと予測しましたが、戦国時代に活躍していた大名たちの身長はどれくらいだったのか紹介したいと思います。本多忠勝の主君で江戸幕府初代将軍・徳川家康(とくがわいえやす)の身長は155センチ~158センチほどだったそうです。

 

明国制圧の野望を抱く豊臣秀吉

 

また豊臣秀吉(とよとみひでよし)は154センチほどで家康とあまり変わらない身長でした。武田信玄(153センチ)も徳川家康や羽柴秀吉(はしばひでよし)と同じくらいの身長だったそうです。越後の龍で有名な上杉謙信(うえすぎけんしん)は上記で紹介した人々よりも身長が高く160センチほどだったそうです。

 

麒麟にまたがる織田信長

 

織田信長(おだのぶなが)はどの程度の身長だったのでしょうか。織田信長は約169センチほどで上記で紹介した人々よりも背が高く、顔も端正でイケメンだったそうです。しかし戦国時代には現代人よりも大きな身長の人物がいました。

 

 

チョー高い巨人クラスの身長を持った大名たち

斎藤義龍(麒麟がくる)

 

戦国時代には現代人よりもはるかに高い身長をもった大名がいました。斎藤道三(さいとう どうさん)の息子・斎藤義龍(さいとう よしたつ)は197センチほどあったそうです。

 

毛利秀頼

 

さらに豊臣秀吉の息子・豊臣秀頼(とよとみ ひでより)も斎藤義龍と同じように197センチほどあったそうで、体つきもがっちりしていたそうです。これだけ背の高さがあれば、敵国の武将や他国の使者に対してかなりの威圧感を与えていたのではないでしょうか。

 

関連記事:本多忠勝が最強である証拠は何か?徹底的かつ多角的に解説

 

 

 

戦国史ライター黒田レンの独り言

三国志ライター黒田レン

 

今回は本多忠勝の身長と戦国時代の主要人物たちの身長を紹介しました。ここでもう一人だけ身長の高い人物を紹介しましょう。それは北条家に仕える風魔軍団の棟梁・風魔小太郎(ふうま こたろう
)
です。彼は伝承ですが、身長が2メートルを超える大男だったそうです。

 

2メートル超えの身長を持った人なんて現代にもあまりいませんから、平均身長が157センチほどだった戦国時代でしたらバケモノみたいに思われていたかもしれませんね。

 

■参考 知識ゼロからの戦国武将入門編など

 

参考:本多忠勝の身長はどのくらい?長身でイケメンだったの?

関連記事:【真田丸特集】徳川三傑・本多忠勝と蜀の五虎将軍・張飛を対比してみた

関連記事:徳川家が豊臣を滅ぼすきっかけとなったのはどんな理由だったの?

 

どうする家康

 

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黒田廉(くろだれん)

黒田廉(くろだれん)

三國志が大好きです。オススメのマンガは曹操を描いた蒼天航路がオススメです。三國志の小説のオススメは宮城谷昌光氏が書いた三國志です。好きな食べ物はマグロ、ぶり、アジが大好きな猫です。

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