越後の龍こと上杉謙信。
上杉謙信は戦においては戦国時代最強時代と言われるほどの兵士を率いて、各地の戦いで勝利を重ねてきた戦国大名です。上杉謙信はチョーお酒が大好きな戦国武将で、ほとんど毎日お酒を飲んでいたそうです。
上杉謙信のお酒のおつまみはなんとあの酸っぱくて丸い形をしている梅干だったそうです。そしてこの上杉謙信が毎日のように飲んでいたお酒と梅干が彼の死因だったかもしれないのです。
関連記事:織田信長にとって最強の敵は武田信玄や上杉謙信でもなく本願寺顕如だった!
上杉謙信の死因は?
越後の龍・上杉謙信は手取川の戦いで織田軍に大勝利を収めた後、居城・春日山城に戻って関東へ遠征する準備を行っていました。上杉謙信は関東へ遠征する準備をすべて整えて、いつでも出陣できる状態であった1587年の3月、トイレで突然倒れてそのまま亡くなってしまいます。
上杉謙信の死因は脳卒中と言われています。どうして上杉謙信は脳卒中になってしまったのでしょうか。
大好きなお酒とおつまみに食べていた梅干が原因
上杉謙信はチョー酒豪で、毎日お酒を飲み酔っ払っても乱れることお酒を飲み続けていたそうです。一体上杉謙信はどれくらいのお酒の量を飲んでいたのでしょうか。
上杉謙信がよく使っていた盃が「上杉神社」に春日杯と呼ばれる盃が残っています。この上杉謙信が使っていた春日杯の大きさですが、直径10センチで深さが6.5センチ程で、結構なお酒の量が入ることがわかると思います。
また上杉謙信が戦に赴いた先で馬に乗りながら飲んでいた馬上杯と呼ばれる盃も「上杉神社」に展示されています。この馬上杯の大きさですが、直径が11センチ程で深さが5.4センチほどです。
両方ともかなりの大きさの盃であるのがお分かりになると思います。さて話がズレてきたので元に戻したいと思います。上杉謙信は春日杯を使って毎日お酒を飲んでいたそうです。
上杉謙信はお酒を飲む際、お酒のお供として梅干をかじりながら飲んでいたようで、毎日お酒を片手に梅干をほおばりながら飲んでいたようです。しかし梅干を毎日食べているのであれば、高血圧になりやすい食生活を送っており、このお酒と梅干が上杉謙信の死因である脳卒中に関係してくることになります。
脳卒中は高血圧の人が成りやすい
脳卒中は高血圧が最大の原因で、高血圧の人がなりやすい病気です。そのため上杉謙信が毎日お酒を飲みながら、お酒のおつまみとして梅干を食べていたとすれば、高血圧になっている可能性があります。
そしてお酒と梅干が上杉謙信の身体を高血圧にしていたとすれば、彼の死因である脳出血の原因にお酒と梅干が挙げられるのではないのでしょうか。
戦国史ライター黒田レンの独り言
上杉謙信はチョーお酒に強い人物ですが、彼のお酒に強いエピソードを最後にご紹介して締めくくりたいと思います。
上杉謙信は上洛したとき、近衛前久と将軍・足利義輝の三人で酒宴を行います。この時上杉謙信は近衛前久と足利義輝と意気投合し、話が盛り上がり朝まで飲み明かしたそうです。
そして翌日近衛前久のもとへ将軍から「今上杉謙信が家に来て酒盛りをしているから君と君のお父上一緒に参加しないか」と手紙がやってきます。近衛前久は前の日に朝まで飲んでいたせいで、二日酔いで頭がガンガンして痛かったこともあって将軍へ「私は昨日朝まで飲んだこともあり二日酔いになってしまいました。今回は遠慮させていただきます。」と断りの連絡を入れたそうです。
しかし彼の父は将軍家に行って上杉謙信と足利義輝の三人で酒宴を行い、かなり盛り上がっていたそうです。このことから上杉謙信がかなりの酒豪であったことがお分かりになると思います。
また上杉謙信と同じくらい将軍・足利義輝も酒豪だったこともお分かりになるのではないのでしょうか。
■参考文献 新人物文庫 上杉謙信謎解き散歩など
関連記事:上杉謙信と関羽はどちらが強いの?日中の軍神対決【if三国志】