キングダムで信や王騎に次ぐ人気を誇るのが秦王嬴政です。波乱の人生ながら数百年以上続いた春秋戦国時代を終わらせた最初の皇帝は波乱の人生を49歳の若さで幕を閉じています。史実の嬴政に対する死因はさまざまな理由が挙げられていますが、ここではキングダムでは描かれることのないだろう、嬴政の死因について考察していきます。
嬴政の伏せられた死の謎を紐解く
一般的には病死ともいわれている始皇帝(嬴政)の死因ですが、何せ紀元前の時代であり、史記には宦官の趙高や腹心の李斯の策謀によって、その死を隠されていたと史実にあるので、どこまでが本当なのかははっきりいって分かりません。そこで考えられる嬴政の死因を探ってみましょう。
かなり確率の高い水銀中毒死説
嬴政の死因として有力なのは水銀の多量摂取による中毒死です。嬴政は不老不死に執着しており、今では考えられませんが、当時は水銀が不老不死に影響のある薬として扱われていました。水銀なんて飲んでしまえばかなり苦痛だったのではないかと思いますが、あの頭の回転が速い嬴政がそんなことをするかと考えてしまいます。しかし、当時は今のような医学薬学の知識がないので、天下泰平を願っている嬴政は長生きする必要があったので、致し方ない決断ともとれます。
実際にあった暗殺未遂説
嬴政は秦王になり呂不韋との権力争いに勝利してからは破竹の勢いで各国を撃破していきました。当然秦国が1強の時代にあったので、刺客から暗殺を狙われることが多々ありました。有名なのは燕の荊軻による暗殺未遂事件です。これはあと一歩のところまで追い込みながら、従者のミスによって失敗しました。
また荊軻と同郷の人物で高漸離という筑(楽器)の名手がおり、嬴政はその才能を知り、いくら荊軻と知り合いとはいえ、殺すのは忍びないと感じていました。仕方なく両目を潰し、暗殺の恐れがないことを確信してから側に置きます。しかし、高漸離は荊軻の無念と自らの目を潰した嬴政への恨みを忘れず、筑の演奏中に鉛を投げつけて嬴政を暗殺しようとしました。嬴政はこれもかわして、刺客から2度逃げ切っています。
これ以外にも恐らく史記に語られていない暗殺未遂は少なからずあったでしょうが、中でも一番不可解なのが天下統一後の暗殺未遂事件です。後の高祖の三傑といわれる天才軍師・張良子房が起こした暗殺未遂事件になります。
天才軍師の張良が軽はずみで失敗したとは考えにくい
時の権力者となった嬴政は敵国だった各地への巡遊を実施していきます。これは反乱を抑えるための抑止力と人心の安定という狙いがありました。現在は中国が1つの国家として存在していますが、当時は戦乱の最中、数多くの独立国家が長年存在し、一気に中華統一を果たした秦に対し、敵国として服従を誓っていない民衆は将兵がたくさんいたはずです。
これら多くの民衆に秦の力を再度見せつけるには皇帝となった嬴政自らが赴く必要があったといわれています。
張良は戦国七雄の韓出身で、父は宰相を勤めていました。張良の父が亡くなってから20年ほどで韓は滅ぼされており、張良はまだ官職に就いていなかったとされています。もしかするとキングダムが韓を滅ぼす模写があれば、若い文官として登場するかもしれません。
そんな張良ですが、祖国の仇を討つために嬴政の暗殺計画を練ります。まず自宅の財産をすべて売り払い、その資金で同志を募って力自慢の猛者を雇い、武器を調達しました。張良は嬴政の巡遊コースを事前に把握し、見晴らしのよい丘に構えて力自慢の猛者に鉄槌を持たせて嬴政の乗った馬車を潰すという計画を実行します。
鉄槌は見事馬車を直撃しますが、嬴政は暗殺を恐れて違う馬車に乗っており、張良たちの狙いが外れてしまいました。張良は嬴政の復讐を恐れて身を隠し、その過程で親友の項伯(項羽の叔父)に匿われて、有名な橋と老人のエピソード(張良が兵法書を授かる)につながります。
ところが、よくよく考えると、いくら官職に就いてないとはいえ、父が死んで20年後に祖国が滅ぼされたといえば、張良は少なくとも20代半ばくらいにはなっているでしょう。それなりに勉学もしているでしょうし、何よりも劉封の天下統一に貢献した後年の知略を考えると、そんな簡単に失敗する暗殺を計画するとは思えません。何らかの結果を残していると考えるのが自然です。
春秋戦国時代ライター ソーシーの独り言
ちょっと軽はずみで計画しているような雰囲気が出ていますが、張良のことですから、実は成功とまではいかなくても嬴政に致命傷を与えるくらいはしていてもおかしくはありません。その治療薬として水銀かどうかは分かりませんが、毒に近い成分の治療薬を服用して死期を早めてしまったのが嬴政の死因だったのではないでしょうか。後の張良の功績を考えるとそう思いたいですね。
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