今週のキングダムはヤングジャンプが合併号になったためにお休みです。
そこで、今回はネタバレ予想ではなく、キングダム関連の雑学を紹介したいと思います。
今回は兵馬俑を制作した職人たちの技術力とその芸術的なセンスに迫ります。
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この記事の目次
キングダム611話合併号SP兵馬俑の真実ベスト5
映画キングダムが上映されたりして人気上昇の秦の始皇帝ですが、そんな彼が自身の墓に埋めたのが
当時の秦の兵士を精巧に模した全部で8000体とも言われる兵士や馬の陶器像、兵馬俑です。
今回は、そんな兵馬俑で分かった5つの真実について解説します。
①身長2.5メートルの巨人兵が存在?
②当時の秦の人々の身長とは?
③どうして秦の兵士の身長は高いの?
④今よりも技術が高い秦の職人達
⑤実は兵馬俑には署名がある?
では、いつものように行ってみよう!!
キングダム611話合併号SP「身長2.5メートルの巨人兵が存在?」
2012年の6月12日に、秦始皇帝陵の陪葬坑の一つである百戯俑坑から「秦の巨人」が出土しました。
キングダムと言えば、汗明や禍燐のようにデカキャラが出てきますが、それに負けずとも劣らない身長2.5メートルという巨人兵だったようです。
実はこの巨人兵、頭の部分が紛失しているのですが、肩の高さまでで2.2メートルもあり頭部を加えると2.5メートルはあると
推定されています。
身長2.5メートルがいかに凄いのか、日本が誇るプロレスラー、ジャイアント馬場でさえ、2メートル9センチしかありません。
世界の大巨人、アンドレ・ザ・ジャイアントでも、2メートル23センチなのです。
兵馬俑は実在の兵士をモデルに制作されたとも言われていますから、リアルな秦の時代、汗明や禍燐なみの巨人兵が実在したのかも知れませんね。
キングダム611話合併号SP「当時の秦の人々の身長とは?」
巨人兵に引っ掛けて話を続けますが、キングダムの時代の秦の人々の平均身長ってどの程度だったのでしょう。
専門家の意見では、秦の時代の人間の一般的な身長は、170センチメートルが平均値なのだそうです。
一方で兵馬俑の兵士の平均身長は高い兵士で2メートル、低い兵士だと175センチとされています。
2メートルは誇張かも知れませんが、175センチだと、当時の平均身長から考えると誤差の範囲とも考えられます。
或いは始皇帝の墓を守る兵士なので、とりわけ体格がよい兵士だけを兵馬俑のモデルに選んだ可能性もあります。
キングダム611話合併号SP「どうして兵士俑の身長は高いの?」
兵馬俑に収められた兵士達の身長が高い理由は、前述したように始皇帝の直属の兵士であり、体格のよい兵士から選ばれた可能性もあります。
しかし、同時に別の二つの理由が考えられるそうです。
①秦の時代には白兵戦が多くなっていたので、自然に力が強い体格の良い兵士が選ばれ、また生き残った。
②等身大の人間を表現するには、実寸の人間より少し大きく造った方がリアルに見える事を当時の職人が知っていたから
なんとなく、①の理由がもっともらしいですが、もし②だったとしたら凄く興味深いですね。
実際ミケランジェロの傑作として名高いダビデ像は、写真で見ると等身大に見えますが、実物は台座抜きで4メートル10センチあります。
また、古代ギリシャの傑作、ミロのヴィーナスも、等身大に見えますが2メートル3センチあるのです。
このように彫刻は、人間をそのまま真似るのではなく、実寸より大きく造る方が、より本物らしくなると
当時の秦の職人たちは知っていたのかも知れません。
キングダム611話合併号SP「今よりも技術が高い秦の職人達」
そんな兵馬俑の兵士の制作は、現代の職人の技術より高いのだそうです。
理由は、兵馬俑のほとんどが全体を一つとして制作された彫刻のような作品であり、頭と体が別々に焼かれたモノは少ないとか・・
現代のように、体のパーツをバラバラに造ってから繋ぐのではなく、一点モノなので製作には神経をつかうのです。
それを8000体もクオリティを切らす事なく造り続けたのですから、当時の職人達の技術の高さが窺えます。
現在のレプリカ技術を駆使して、同じように兵馬俑を造っても接着の跡などが残り、実物よりは美しくないそうです。
そう考えると、改めて兵馬俑の凄さが分かります。
キングダム611話合併号SP「実は兵馬俑には署名がある?」
では、兵馬俑を生み出した職人たちはどんな人達だったのでしょう。
現在の研究者は、兵馬俑の修復と研究をするうちに、職人達が兵馬俑一体、一体に署名を残しているのを発見しました。
それは控えめにも、腋の下や臀部のような目立たない所にあったようです。
気になる名前ですが、宮壁、宮得、宮頗、宮長、宮海のように、名前の最初に宮の字がつく事から
秦の朝廷に由来する人々と推測されています。
また職人の一部は中国全土から連れて来た腕の良い職人の可能性もあるようです。署名の数は80を数えるようなので、
職人は最低でも80名はいたのでしょう。
彼らの作陶は個性的で兵馬俑を見慣れると、どの職人が造ったものか分かるようになるそうです。
キングダム(春秋戦国時代)ライターkawausoの独り言
中国と言うと、どうしても差不多(大体おんなじ)という大らかで大雑把な商品のクオリティが思い浮かびます。
しかし、2200年前の兵馬俑には、現代中国の差不多のような大雑把さはなく厳格な法によって統治された秦らしい、
きっちりした雰囲気がただよってきます。
もちろん、始皇帝の墓に陪葬する兵馬俑ですから、ポンコツクオリティの製品を造ろうものなら、
どんな刑罰があるか分からないそんな緊張感もあったでしょう。
でも、kawausoが思うに秦帝国の強制もあったでしょうが、あの兵馬俑のクオリティの高さには
俺達は芸術品を造っているという口には出せない職人達の無言のプライドがあったように思えます。
そして、どんなに地中深く埋めようと、いつかは出てきて、俺達の仕事が後世に認められるに違いないという期待もあったでしょう。
(俺達の芸術を始皇帝一人に独占させやしないぜ)
こんな反骨が当時の職人達には、あったのではないかと夢想します。
読者の皆さんは、兵馬俑についてどう思いますか?
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参考サイト: 「人民網日本語版」2012年6月13日
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