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陳宮と陳登の二人を呂布が用いれば曹操が滅亡してた?

2019年8月18日


 

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赤兎馬と呂布

 

三国志最強の武勇を持ち「飛将軍(ひしょうぐん)」と呼ばれて恐れられた呂布(りょふ)。呂布の最後は劉備りゅうび)から徐州(じょしゅう)を奪って群雄と独立しますが、力及ばず曹操に敗北し、滅亡してしまいますもし呂布が軍師陳宮(ちんきゅう)や徐州の逸材として知られる陳登(ちんとう)を活用できれば、彼の天下統一も可能だったかもしれません。

 

 

 

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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陳登はマイナーだけど凄い人物だった!?

呂布に従う陳宮

 

陳宮は呂布の軍師として活躍しているのはみなさんご存じだと思います。ですが三国志を知っている方でも陳登の名前だけは聞いたことがあるけど、どれくらい優秀な人材だったか知らない人が多いと思います。

 

陳登

 

ここでは陳登が人材としてどれくらい優れていたのか。正史三国志から紹介していきたいと思います。陳登の優れている点は文学的素養に優れている所です。陳登は若い頃から書物を広く読んで、古典や文学作品をことごとく極めつくしたと記載。

 

作戦勝ちする陳登

 

古典や文学作品をことごとく極めるなんて普通の人じゃできませんし、三国時代でも中々いない稀有な人だったと言えるでしょう。陳登ははじめ陶謙の配下として仕えることになりますが、当時農作物がほとんどとれず、民衆が飢えで多くの人々が亡くなっていたそうです。

 

陳登を救うために曹操に会見する陳矯(ちんきょう)

 

そこで陳登は徐州各地にある田畑の性質を調べ、その田畑にどのような作物を植えればいいのかを徹底して調査。その後陳登は田畑にあった作物を植えさせ、水路を作って土地を豊かにさせる政策をしていきます。

 

孫策軍をコテンパンにする陳登軍

 

その結果徐州各地の土地に植えた農作物は豊かに実り、民衆達の飢えを減少させることに成功。このことから陳登が農業に練達した能力を持った人材だったことが分かります。他にも陳登は戦術に優れ、孫策(そんさく)軍が陳登の城へ攻撃してきた際、兵数が少ない圧倒的不利な状況を覆し、孫策軍を撃退しています。

 

このように陳登は文学的素養や行政、軍事に優れた才能を持っていました。

 

 

 

曹操軍撃退も可能だった!?

呂布

 

史実では陳登が優れた人材であったにもかかわらず、ほとんど彼を活用しませんでした。陳宮も陳登と同じく呂布からあまり重く活用されませんでした。もし呂布が陳宮と陳登を重用すれば、曹操軍が下邳城へ侵攻してきた際、撃退することも可能だったと思います。

 

陳宮は曹操へ勝つための方策として「殿に出陣してもらい、私が下邳城を固く守りましょう。敵が下邳城へ攻撃をしてくれば、殿へ敵軍を攻撃してもらい、私が城門を開いて挟撃できます。また敵軍が殿へ攻撃を仕掛けてくれば、私が城門を開いて敵軍の背後を攻撃できます。

 

このように繰り返し攻撃を行えば、敵軍も疲弊し、兵糧も底をつき撤退するはずです。」と呂布へアドバイスしています。陳宮が呂布から重用されていれば、この作戦を採用し曹操軍を追い払えたでしょう。

 

 

戦後行政を担う

曹操から水攻めを受ける呂布

 

呂布は下邳城へ攻撃を仕掛けてきた曹操率いる軍勢を追い払うことに成功すれば、陳登の出番です。陳登は徐州の民衆が戦争で荒れた心を落ち着かせるため、様々な政策を打ち出すと思われます。民衆の心が落ち着けば、戦で荒れた徐州の生産力を回復させ、国力の増強ができます。

 

 

外交政策もバッチリ

騙し合う呂布と袁術

 

陳登は徐州の国力回復をしながら、袁紹(えんしょう)もしくは孫策と同盟を締結するようにアドバイスをして、呂布が外交で孤立しないよう献策。その後呂布が陳登の献策に従って、どちらかと同盟を結ぶことに成功すれば、あとは東もしくは南へ領土を拡大するだけです。

 

呂布が孫策と同盟を締結することに成功すれば、孫策と共同で袁術を討伐し、袁術の領土を確保することで勢力を拡大できるでしょう。また呂布が袁紹と同盟できれば、東へ向かって曹操と決戦もしくは孫策が平定した揚州へ侵攻することもできます。

 

このように彼ら二人を用いるだけで、外交政策をしっかりと行い戦略の幅を広げ、呂布の天下統一も不可能ではないと思いませんか。

 

三国志ライター黒田レンの独り言

三国志ライター黒田レン

 

このように呂布が陳宮と陳登を重く用いるだけで、戦略と外交に幅ができ、かなり違った歴史を歩むことになったと思います。

 

赤兎馬にまたがる呂布

 

もしかしたら、曹操が名乗った魏の国を呂布が代わりに名乗っていたかもしれない可能性もあったかもしれません。ここまで想像すると返す返すも呂布が優秀な人材を活用できなかったことが残念でなりません。

 

■参考文献 正史三国志魏書など

 

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呂布

 

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黒田廉(くろだれん)

黒田廉(くろだれん)

三國志が大好きです。オススメのマンガは曹操を描いた蒼天航路がオススメです。三國志の小説のオススメは宮城谷昌光氏が書いた三國志です。好きな食べ物はマグロ、ぶり、アジが大好きな猫です。

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