イギリスが19世紀初頭に、フランスとスペインの連合艦隊をトラファルガーで撃破し、七つの海を支配する海洋帝国として世界に君臨した事実は、教科書等でよく知られています。島国であるイギリスで海運が発展したのは自然の成り行きですが、では、どうして貧しかった英国が世界最強の艦隊を持つに至ったかは以外に知られていません。イギリスが最強の艦隊を得た理由、そこにも塩が大きく関与していたのです。
関連記事:島津斉彬はイギリスをどう思ってた?島津斉彬の功績に迫る!
肉なし金曜日に困り果てる欧州人
西ローマ帝国が滅亡した五世紀以後、欧州ではキリスト教が広がっていきました。ローマ人ほど享楽主義ではなく、料理に凝って臭い魚醤ソースを食べない素朴で信心深い当時の欧州人にとって、厳しい戒律と料理が質素である事を美徳とするキリスト教はウマがあったのかも知れません。しかし、そんな敬虔な人々にも困った事がありました。宗教行事である年の半分にも及ぶ肉抜き日です。中世のカトリック教会はそればかりでなく、キリストが磔になった金曜日も肉抜きの日にした上に、男女のウヒョ!も禁じました。
ウヒョのほうはどうか知りませんが、金曜日の肉抜きデーは厳格に守られ、イギリスでは十六世紀にヘンリー八世がバチカンと決別するまで、金曜日の肉食者はつるし首になっています。教会の教えに従う単調な日々の中で肉を主食とする中世欧州人にとり、肉抜きデーは耐えがたい苦痛でした。
バスク人がタラで欧州人に福音をもたらす
9世紀、ヴァイキングに造船技術を習ったらしいバスク人が、肉抜きデーに困っている欧州人に福音をもたらします。それが北海で獲れた鱈(タラ)でした。タラは魚としては脂肪が少なく、真水に数日漬けて天日で乾かし塩を振るだけで堅い棒だらになり輸送が簡単でした。そして油っぽい地中海の魚より美味で長期保存も出来たのです。おまけにかつてローマ帝国の支配下にあった欧州の国々には魚を食べる習慣が根付いていました。
教会はタラについては魚なので禁止しませんでした。そこで欧州人は肉抜き日をタラで代用するようになります。バスク人は塩も握っていたので、ビジネス販路は膨大でした。こうして、北海のタラやニシンは、肉に飢えていた欧州人の常食となります。そして、国内に港を持つ欧州の国は、どこでもタラと塩がもたらす莫大なビジネスチャンスを求めて、北海へと船を出し、同時にタラを加工する塩の確保に血眼になるのです。
ニシン船団を守って強化されたイギリス海軍
バスク人の勢力が衰退した後に、北海のニシン漁を独占したのはハンザ同盟でした。十四世紀の後半にドイツの北部の小規模な組合だったハンザ(仲間)同盟は、劣悪なニシン業者に罰金を科す等、正直な商売で勢力を拡大、十四世紀中に中央ヨーロッパの全ての河口を支配します。しかし、独占に反発するデンマークやイギリスの海軍と戦うようになり、十五世紀には衰退しました。
その後に、ニシンビジネスでトップに躍り出るのは、イギリスとオランダでした。特にオランダは1581年にスペインから独立した新興国でしたが、個人主義が徹底した商人の運営する国であり、株式会社「オランダ東インド会社」を設立する等、資金を集めるのに抜群のセンスを見せ、斜陽のスペインを圧倒し1650年代には、欧州全体の船舶、20000隻の中でオランダ船籍は16000隻を数え、北洋のニシン漁とニシン貿易を独占したのです。そんなオランダの漁場はイギリスの沿岸海域でしたから、イギリス人は悔しいったらありゃしません。勢い、イギリス人はオランダ人に恐怖と嫉妬心を感じて、欧州の海域とカリブ海で熾烈な戦いを繰り広げて覇権を争います。相互にニシン船団を守る為に艦隊を護衛させたので、イギリスは艦隊の整備に全力を傾注していきます。
誤解を恐れずに言うと、イギリス艦隊はニシンのお陰で整備されたのです。
1652年、イギリスはオランダのニシン艦隊を撃破し第一次英蘭戦争に勝利しました。その後もイギリスとオランダは、18世紀末の第四次英蘭戦争まで、ニシンを巡る戦いを続けますが、最終的にオランダは覇者の地位から脱落します。しかし、今度は自国の沿岸で大量の塩が採れるフランスが台頭し、イギリスと覇権争いを繰り広げます。ライバルのフランスに塩を依存していたイギリスは塩の欠乏に悩まされますが、新大陸に植民して塩を確保する事を思いつき、フランスとの北米戦争に勝利して領地を獲得し、自前で塩を供給できる体制を確保。トラファルガーの戦いでフランス艦隊を撃破し七つの海を支配する強国へとのし上がっていくのです。
イギリス海軍は塩なしには動かない
18世紀一杯の帆船時代、船乗りに取って絶対に必要なのは水と塩でした。イギリス海軍も、出港時に船に塩を満載して積み込み、途中のイギリスの港で塩を補給したり、カリブ海の島にある、塩田に立ち寄り海水から塩をつくる重労働をして塩を切らさない努力をしていました。例えば、イギリス海軍において、水兵の食糧は日本でもおなじみのコンビーフでした。英語でコンとは小さな粒の意味であり、それはトウモロコシの粒だけでなく塩の事も意味していました。元々コンビーフは、アイルランド人が巧妙に牛肉から骨を抜いて塩漬けにした郷土料理でしたが、水分が少ないので長期保存が出来たので、欧州で好まれ特にイギリス海軍が水兵の食糧として大量に造りました。
しかし本来、丁寧な加工作業を必要とするコンビーフを料理下手なイギリス人はいい加減に造ったので海軍のコンビーフは極めてマズく、水兵たちは「塩のくず」と呼びました。アイルランド人も、イギリスのコンビーフと自分達の郷土料理の混同を避ける為に、あれは「味付けした牛肉」と呼んで差別化しています。もう一つ、イギリス水兵が食べていたのがザワークラフト、発酵キャベツでした。新鮮な野菜が手に入らない航海中、塩で漬けるだけで発酵して保存できるザワークラフトは壊血病を予防できる素晴らしい食品でした。
イギリス海軍は、塩に由来するコンビーフとザワークラフトをバックに七つの海で戦い続けたのです。逆に言えば、十分な塩を供給できなければイギリス海軍はいかに火薬を満載していても戦う事は出来なかったでしょう。
kawausoの独り言
イギリスは、世界史で勉強するので比較的歴史を知っていると思っていましたが、タラとニシンという魚の市場を巡る競争の中で船団を強化し、さらにそれを守る海軍を強化整備して、戦いを勝ち抜いたというのは今回初めて知りました。いずれにせよ、魚の加工には塩が不可欠であり、イギリスの覇権も塩なしには語れないものだったのです。
参考:塩の世界史 歴史を動かした小さな粒
関連記事:マリア・ルス号事件とはどんな事件?明治政府最初の国際裁判
関連記事:岩倉使節団とは何?大久保利通がイギリスに行った理由