司馬遷の『史記』の特徴を解説!実は司馬遷1人の作品ではない!?

2020年1月30日


 

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司馬遷(しばせん)

 

史記(しき)』は前漢(ぜんかん)(前202年~後8年)の歴史家である司馬遷(しばせん)が執筆した歴史書であり、本当の名称は『太史公書』と言いますが『史記』が有名なのでこの記事では『史記』で通します。

 

今では発掘史料を重視していますが、戦後間もないころの日本では中国との国交が回復されていなかったので、古代史の分野では『史記』を一級史料として使用していました。『史記』にはどんな特徴があるのでしょうか?今回は『史記』の特徴に関して解説します。

 

※記事中のセリフは現代の人に分かりやすく翻訳しています

 

 

 

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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『史記』を著者は司馬遷ではない?

 

一般では『史記』の著者は司馬遷で通っています。しかし現存している『史記』の一部が彼の筆によるものではないと言われています。一部は司馬談(しばだん)の手によるものという近年の研究成果が出ています。司馬談は司馬遷の父です。

 

司馬遷が『史記』を執筆した動機が父が行っていた歴史書の編纂を受け継ぐためでした。司馬談が編纂していた歴史書とはおそらく、まだ未完成であった『史記』と考えられています。そうなると『史記』は司馬遷個人の独創的な書物でないということになります。

 

現在、考えられている仮説では全体の構成やコンセプトを司馬談が練って執筆していたが、途中で病気により亡くなったので息子の司馬遷が受け継いだとなっています。つまり司馬遷は『史記』の単独執筆者ではなく、共同執筆者であると同時に最終編纂者だったのでした。

 

司馬談が執筆した個所は?

逃げる秦王政を追いかける荊軻

 

それでは司馬談が執筆した個所はどこでしょうか?代表的なものは荊軻(けいか)秦王政(しんおうせい)(後の始皇帝)を暗殺しようとした「刺客列伝」です。『キングダム』では、まだ描かれていない内容です。『史記』の他の個所とは違い文学的な要素が非常に強いことから、司馬遷とは違う別人が書いた可能性が高く、そのため司馬談と見て間違いないと専門家の意見も一致しています。

 

『史記』執筆の動機は?

武帝は前漢の第7代皇帝

 

先ほど『史記』執筆の動機について、父の歴史書編纂を受け継ぐことと書きましたが、もう少し詳細に記します。前漢第7第皇帝の武帝(ぶてい)は自分の権力の象徴として、「封禅の儀式」を行いました。この儀式については、研究が行われていますが、今日になっても解明されていません。

 

『史記』にも「封禅書」という項目はあるのですが、はっきり言って何も書いていません。司馬遷も「分かりません」と冷たく言い放っています。それどころか「封禅書」だけ全く関係無い話が出るので、後世の人物による偽作説が出ています。ただ言えることは、封禅の儀式は特別なイベントでした。司馬遷の父の司馬談は滅茶苦茶参加したかったようです。だが、理由は不明ですが参加出来ずにこの世を去ります。

 

横山光輝氏の『史記』では体調を崩したという設定になっていました。普通に考えたらそうだと思いますけど・・・・・・臨終の間際に司馬遷は父から『史記』の執筆の後を頼むことを言われて、引き継ぐことにしたそうです。

 

『春秋』のオマージュ?司馬遷自爆事件

 

司馬遷は執筆動機を聞かれた時にかなり矛盾する返答を返しています。ある日、同僚の壺遂(こすい)と『史記』のことについて話していました。司馬遷はこの時にかつて孔子(こうし)が執筆したと言われている『春秋』のようなものを書くと断言します。壺遂は孔子の『春秋』の執筆動機について尋ねます。ドヤ顔の司馬遷は「善悪の区別に決まっているじゃん!」と言い放ちます!

 

しかし壺遂から「孔子の時代は乱世であり名君もいない時代だ。今は名君(武帝)もいて、部下もしっかりしているんだ。それなのに孔子のマネなんかして何の意味があるんだ?」と言い返されます。

 

「違いますよ。『春秋』のマネじゃないですよ。オマージュですよ・・・・・・『春秋』と一緒にしないでください」とすねてしまいます。オマージュは冗談として司馬遷が勝手に自爆したのは事実でした。

 

この話はコントですか、とツッコミたくなりますね・・・・・・

 

前漢史ライター 晃の独り言 堀江貴文氏も愛読していた『史記』

三国志ライター 晃

 

以上が司馬遷の『史記』の特徴についての解説でした。『史記』で思い出すのはホリエモンこと、堀江貴文氏ですね。筆者が高校生の時に堀江氏が愛読していた書籍の話を聞いたことがありました。それが『史記』(徳間文庫)です。徳間文庫は全訳ではなく、抄訳といって重要な個所だけ翻訳したものでした。筆者が当時、住んでいた地域の書店でベストセラーになっていたことを覚えていいます。

 

興味がある人は一読してみてください。

 

※参考文献

・『「正史」はいかに書かれてきたか 中国の歴史書を読み解く』(大修館書店 2002年)

 

※はじめての三国志では、コメント欄を解放しています。

上記の堀江氏の話について記憶している人はコメントをください

 

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晃(あきら)

晃(あきら)

横山光輝の『三国志』を読んで中国史にはまり、大学では三国志を研究するはずだったのになぜか宋代(北宋・南宋)というマニアックな時代に手を染めて、好きになってしまった男です。悪人と呼ばれる政治家は大好きです。
         好きな歴史人物:
秦檜(しんかい)、韓侂冑(かんたくちゅう)、 史弥遠(しびえん)、賈似道(かじどう) ※南宋の専権宰相と呼ばれた4人です。
何か一言: なるべく面白い記事を書くように頑張ります。

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