税金と脱税を巡る歴史、第二回は古代ギリシャの税金システムを考えます。古代ギリシャは、古代エジプトと違い市民から直接税を取るのではなく関税のような間接税を大きな財源にしていました。
その理由は古代ギリシャ人に独立した農場経営者や商人が多く、王に全ての権限を集中させるのではなく、自分達で議会を開き自治によって問題を解決したからです。なので古代ギリシャは低税金国でしたが、富裕層に対しては積極的に公共の為に寄付する事が求められていました。
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金持ち同士を密告させるアンチドシス
古代ギリシャは、沢山の都市国家が林立し交易も盛んですが戦争も頻繁でした。戦争や大規模な公共事業には多額の資金が必要なので、その時に臨時徴税として金持ちに寄付が要請されました。これをエイスフォラと言います。
名目上、寄付は市民の自発的奉仕とされていましたが、実際は強制で、市民の圧力で支払わざるを得なかったようです。しかし、今も昔も人間はお金を惜しみます。投資じゃなく寄付なので出した大金は帰ってきません。そこで財産を誤魔化して寄付を免れようという富裕層が出ました。そこで、ギリシャ市民が考えたのが資産密告制度アンチドシスです。
アンチドシスとは、公共奉仕、つまり寄付を命じる事が出来る制度です。この制度で指名された富裕層は寄付をしないといけませんが、唯一寄付から逃げられる方法がありました。それは、自分よりも財産を持っている人間を告発する事です。
例えばaという金持ちがアンチドシスで指名されるとaは自分より資産があるbを告発できます。この時にbはアンチドシスに応じるか、応じない代わりにaの財産と自分の財産を取り替える事が出来ます。
これは、醜い争いになったようで指名された金持ちは互いの隠し財産を暴き合って、寄付を免れようとし市民には面白い見世物になりました。富裕層にとっては悪夢ですが、多くの場合、脱税は富裕層が行うものであり、アンチドシスは不正に溜め込まれるお金を社会に吐き出させる効果があったのです。
古代アテネは間接税の国
では、ここで古代ギリシャ最大の都市国家アテネの税収を見てみましょう。
デロス同盟からの貢金・・・・・・8400タレント
租税 ・・・・・・10200タレント
神殿金庫からの充当金・戦利品・・2000タレント
合計 ・・・・・・20600タレント
デロス同盟とは、ペルシャ帝国の侵略に対してギリシャの各ポリスが同盟を結んだものですが、兵力のほとんどをアテネの兵力に頼ったので、同盟ポリスは安全保障費として、多額の貢金を支払っていました。これがアテネの税収の40%です。
次が60%を占める租税で、アンチドシスによる寄付金や通行税、売春税、ブドウ酒税のような間接税です。神殿金庫は、銀行のようなもので普段は備蓄しておき、緊急に予算が必要な時に引き出していました。
このようにアテネの税収は半分以上が間接税や関税でした。アテネのように市民が自立した都市では個人から直接税を取るのは難しいので、商品に税を掛けるのが簡単だったのです。この間接税日本でお馴染みな消費税の仲間です。
現在の消費税率は10%ですが、年収500万円の人が1年で支払う消費税は23万円と自動車の車検代より高いのです。でも消費税、そんなに払っている感覚はあまりないですよね?
ここが間接税のポイントで、市民から直接税が取りにくい古代ギリシャも大いに利用しました。
脱税商人と徴税官
古代ギリシャ諸都市はエーゲ海を内海に持ち、船を使う交易で栄えた国です。陸を行くより海を使用するのが簡単で速いので、港湾は早期に整備され港には荷揚げした商品を保管する頑丈な倉庫が立ち並びました。
古代ギリシャでは、輸入した商品の50分の1を関税として取りました。荷主は税関で関税を支払って初めて商品は倉庫から出されて市場に出回るのです。もし関税をすり抜けようとすると、10倍の税金が追徴されました。
しかし、当時の商人が真面目に税金を支払ったかといえば、そうでもなく、当時から関税を誤魔化す人間は多くいました。しかも、闇に紛れてコソコソ誤魔化すのではなく、堂々と正面から誤魔化していたのです。
それが可能だったのは、商人と徴税官が癒着していたからなのです。古代ギリシャでは、徴税官は公務員ではなく政府から徴税の権利を買い取った民間人でした。古代ギリシャのポリスは面倒で経費が嵩む徴税業務を売りに出し、落札した人に前金を納めさせて、代わりに決まった税金を徴収する権利を与えていました。
でも、庶民に民間の徴税人は勤まりません。お金も人間も腕っぷしも必要になりました。つまり富裕層が徴税官になる事が多かったのです。かくして徴税官は政府に支払った前金を取り返し、少しでも儲けを出す為に高い関税や間接税を取るようになります。
ペロポネソス戦争敗北が脱税に拍車を掛ける
紀元前404年、ペロポネソス戦争でアテネはスパルタ軍に包囲され餓死者が出る事態になり降伏。アテネは海外の全植民地を失い、最強の海軍もスパルタに接収されます。さらにアテネを盟主とするデロス同盟は解体。アテネは40%の税収を失い経済が大打撃を受けます。
一時は、スパルタの支配を脱したアテネですが、以後もポリスの騒乱はやまず、混乱は続き、紀元前322年、古代エジプト同様にマケドニアに滅ぼされギリシャの主導的な地位を失いギリシャの地方都市へと転落しました。
かつては、自由市民の志願による1万人の重装歩兵と強力な海軍でペルシャ帝国さえ跳ね返したアテネですが、ペロポネソス戦争の敗北で農業と商工業が壊滅し、多くの市民が没落し奴隷に身を落とす人々が続出し国力を減退させます。
本当なら、この時に税制を改革し、徴税請負人を廃止し、富裕層に多く課税して税収を安定させ、没落した自由民を引き上げ重装歩兵を再生させる必要がありましたが、徴税を民間に丸投げしていた当時のアテネでは、それは不可能でした。アテネの直接の崩壊原因はマケドニアの侵攻でも、そこには徴税を自力でコントロールできなかったアテネの没落があったのです。
kawausoの独り言
徴税請負人と脱税商人の結託は公然の秘密でした。古代ギリシャの詩人ゼノンは、国境の町オローブを以下のように歌います。
「国境の町オローブには関税徴収屋と密輸者しか住んでいない。オローブの町と住民に禍あれ」
ゼノンは詩人であり、この歌は当時のギリシャの一般庶民の考えを代弁したものと言えるでしょう。不公平な徴税と汚職・脱税がポリスの防衛に責任を持った豊かで自由で勇敢な市民を減らし、最終的に古代ギリシャを没落させてしまったのです。
参考文献:脱税の世界史 宝島社
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