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軍師はいないが外交上手の劉備
よく考えてみると劉備は、傭兵隊長として他の群雄に仕えるにしても、割合、好待遇を得ている感じがします。そうでないなら、なかなか乱世を渡るのは難しかったでしょう。
劉備の場合、傭兵は自分の財産ですからこれを食わせないといけません。劉備は戦術家で局地戦は得意ですから強い事は強いですが、それなりの兵力を食わせる為に食糧の保障や兵卒への一定待遇を勝ち得ないとならず、次第に外交は上手くなったのでしょう。その劉備を見ていた孫乾や商人階級の麋竺も、外交には長けていったのではないでしょうか?
三国志ライターkawausoの独り言
劉備が外交上手というとピンと来ないかも知れませんが、根無し草の傭兵人生を考えると、交渉事が上手かったからこそ、生き延びてこれたような気がします。特に、孫乾と麋竺の存在は劉備が諸葛亮に出会う荊州に劉備を導いた点において決定的に重要ではないかと思います。
参考:正史三国志