麋竺と孫乾がいなければ劉備は野垂れ死にした可能性大

2020年5月17日


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劉備は野垂れ死にした可能性大(1P目)

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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軍師はいないが外交上手の劉備

優秀なのに地味すぎる孫乾 +劉備

 

よく考えてみると劉備は、傭兵隊長として他の群雄に仕えるにしても、割合、好待遇を得ている感じがします。そうでないなら、なかなか乱世を渡るのは難しかったでしょう。

宋銭 お金と紙幣

 

 

劉備の場合、傭兵は自分の財産ですからこれを食わせないといけません。劉備は戦術家で局地戦は得意ですから強い事は強いですが、それなりの兵力を食わせる為に食糧の保障や兵卒への一定待遇を勝ち得ないとならず、次第に外交は上手くなったのでしょう。その劉備を見ていた孫乾や商人階級の麋竺も、外交には長けていったのではないでしょうか?

 

三国志ライターkawausoの独り言

kawauso 三国志

 

 

劉備が外交上手というとピンと来ないかも知れませんが、根無し草の傭兵人生を考えると、交渉事が上手かったからこそ、生き延びてこれたような気がします。特に、孫乾と麋竺の存在は劉備が諸葛亮に出会う荊州に劉備を導いた点において決定的に重要ではないかと思います。

 

参考:正史三国志

 

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三国志とお金の話

 

 

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kawauso

台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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