劉備は諸葛亮まで保証人にした借金大王だった


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三国志の主人公の劉備

 

ウルフルズの名曲に借金大王というものがあります。

自分の周辺から借金をしまくり、少しも返さない借金大王に対して、さっさと返さないと金も友達も消えてなくなるぞと(おど)す内容です。

 

陸遜

 

ところが、金を借りるのが上手いヤツは、友人が金を貸さなくても色々な方法でカネを調達するものですから始末がいけません。

三国志の英雄である劉備(りゅうび)も資金繰りに困った末、諸葛孔明(しょかつこうめい)を保証人にして、ピンチを乗り越えた借金大王でした。

 

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傭兵団を養うには金!踏み倒しの名人劉備

桃園三兄弟 vs 呂布の一騎打ち

 

三国志の英雄の劉備の職業は、一時期、県令や県尉、州牧(しゅうぼく)をしていた時を除くとほとんど傭兵隊長(ようへいたいちょう)として生計を立てていました。従って劉備の資産は、戦争に従事させる事が出来る傭兵たちであり、彼らが逃げてしまわないように最低限、飯を食わせる必要がありました。

 

そんな劉備の傭兵隊長としての振り出しは、中山国の馬商人である蘇双(そそう)張世平(ちょうせいへい)から資金援助を受けた時でした。

しかし、客将として食い扶持(ぶち)を保証されている時は良くても、戦争が終ったり雇い主が負けると傭兵隊長としての資金源が消えてしまいます。

だからって山賊の真似事をすれば評判はガタ落ちですし下手すれば逮捕です。

商人で成功する糜竺

 

徐州時代に配下に引き込み、妹を娶って姻戚にした大金持ちの大商人麋竺(びじく)の援助はありましたが、数百人や千人の人間に仕事も与えず、

収入ゼロで無駄飯を食わせていれば、どんな大金持ちでも破産です。

劉備は麋竺ばかりに頼れず、必死で浪人時代の資金集めに腐心した事でしょう。

三国志大学で勉強する劉備

 

正史三国志に、先主伝(せんしゅでん)として生涯が詳述されている劉備ですが、やはりというか蘇双と張世平にお金を返したという記録はありません。

つまり劉備は借金踏み倒しの名人だった可能性が高いのです。


新野時代に諸葛亮を保証人にして金を借りた?

諸葛孔明を自分のもとに入れたくて堪らない劉備

 

蘇双と張世平の借金を踏み倒し、麋竺から度々金を借りていた劉備ですが、新野に駐屯していた頃、それでも足りずに自分がスカウトした諸葛亮(しょかつりょう)

連帯保証人になってもらい南陽の名族、晁氏(ちょうし)から大金を借りたという伝承が、明の時代の「諸葛忠武書(しょかつちゅうぶしょ)」という史料に出てくるようです。

「諸葛忠武書」は三国志の時代から千年以上も経過した史料なので、同時代の記録よりも信憑性(しんぴょうせい)は落ちますが保証人というイデオロギーとは

無関係な記述で嘘をつく必要がないので、このような事例はあった可能性は高いでしょう。

劉備

 

ちょっと情けないのは、まもなく五十に手が届かんとする劉備が、スカウトした三十前の無名の若者に対して

「ゴメン悪いけど、俺の借金の保証人になっちくんない?」と頼むところです。

しかし、劉備は何度も借金を繰り返しただけあって、ちゃんと学習し金を借りる事が出来る人間をしっかりと選んでいます。

悪い顔をしている諸葛亮孔明

 

諸葛亮は本人は確かに無名ですが出身は徐州瑯邪郡(じょしゅうろうやぐん)の名族であり、現在は、諸葛亮の姉妹が荊州の名士である龐徳(ほうとく)公の息子に嫁いでいます。

このような荊州随一の閨閥に属している孔明なら、お金を貸しても踏み倒される事はないという信用があるわけです。

劉備の目論見(もくろみ)通り、晁氏は劉備に金を貸したようですね。

 

【お金で見てみる三国志の舞台裏】
三国志とお金の話


やっと荊州三郡を得た劉備のやった事とは?

蜀の皇帝に即位した劉備

 

自分の部下に食わせてもらったり、保証人を頼んだりと地獄のような資金繰りを繰り返していた劉備ですが、

曹操(そうそう)が赤壁で大敗した隙に荊州三郡を首尾よくゲットします。それでも劉備は、いきなり俺がボスなんて意地汚い事はしません。

江夏太守である劉表の忘れ形見の劉琦(りゅうき)を荊州刺史に上奏して自分はその配下のような顔をしました。

蜀の劉琦

 

しかし病弱な劉琦は間もなく亡くなり、ようやく劉備は臣下に推される形で荊州牧に就任します。

「私は本当は嫌なのだけれど、こうまで期待されては無下に出来ません」

古代中国で評価を得るには、このような謙虚なフリが大事なのです。

では、ようやく、それなりの地位に就いた劉備が何をしたか?

餓えた農民(水滸伝)

 

それは、三郡の流民で戸籍から逃れている流民を登録して新しい財源を確保する事でした。

劉備はこうして得た税金を、ほとんど軍備の強化に使います。

まだ一州を制覇したわけでもなく、敵は健在ですから軍備を手放すような事はしないという事です。

民衆の味方顔をしても、滅ぼされてしまえばオシマイですからね。


借金をしながら大きくなった劉備

 

マキャヴェリの君主論には

「人間は、親が死んだ悲しみはすぐに忘れるが財産を奪われた恨みは数代を経ても忘れない」というのがあります。

これは、全く真を衝いた言葉であって金の恨みは世代を越えます。

劉備の借金は数百名を食わすレベルですから控えめに言っても一財産でしょう。

それを何度か踏み倒していれば、どこかで刺されてもおかしくない。

しかしながら、それでも劉備は借金踏み倒し男の悪名を蒙らなかったその理由は何故でしょうか?

蜀の劉備

 

kawausoが思うに、その一番の理由は金は返さないにしてもお金を貸してくれた人には、精一杯の敬意を払っている事でしょう。

例えば、劉備のキャッシュディスペンサーになってしまった麋竺に対し益州を制圧した劉備は、安漢将軍の地位を与えています。

この地位は劉備の古馴染みである孫乾(そんかん)簡擁(かんよう)よりも上であり、もちろん諸葛亮よりも上でした。

張飛と劉備

 

また、劉備はケチというわけではなく成都が陥落した時には、

国庫を解放して兵士に大盤振る舞いし、諸葛亮や関羽、張飛、法正に黄金を五百(きん)、銀千斤、銭五千万、(はく)千匹を与えています。

史書には、それ以下には各々、功績に見合ったプレゼントをしたとあるので麋竺も金銭の恩恵には預かっているでしょう。

ただ、麋竺が仮に諸葛亮並みの褒賞を受けたとしても、それまで麋竺が劉備に使った金には到底及ばないと思いますけどね。

 

三国志ライターkawausoの独り言

 

悪用はおススメしませんが、他人から金を借りる上手いやり方があります。

これは、例えば1万円を借りたら、その半分の五千円は返すという方法です。

 

kawauso

 

一円も返さなければ、誰だって腹は立ちますが、半分返す事で、相手には一応の誠意があると思わせてしまうのです。

しかし、これだって最初から五千円は踏み倒すつもりだとすれば詐欺(さぎ)と同様ですが、人間は一応、半分のお金は戻ったという安心感で

相手への不信が和らいでしまうんですね。

 

参考文献:劉備と諸葛亮 カネ勘定の「三国志」

 

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