こちらは2ページ目になります。1ページ目から読む場合は、以下の緑ボタンからお願いします。
呉三桂VS李自成
実は家族も陳円円も無事でした。それどころか父の呉襄は明を見捨てて李自成にあっさりと降伏していました。全てとはいいませんが、明のほとんどの廷臣は李自成と一戦も交えずに降伏していたのです。かわいそうだったのは崇禎帝でした。彼は見捨てられた挙句、首をつって自殺したのでした。こうして明は滅んだのです。
李自成は明を滅ぼすと、呉襄に対して呉三桂の降伏を促します。呉襄は言われた通り、呉三桂に降伏をすすめる手紙を書きました。さて、呉三桂は父や陳円円が生きていることを知って、ほっとした反面、父が明を裏切って投降したことに腹を立てて降伏を拒否!李自成と戦う決意を固めます。
呉三桂が降伏を拒否したことを知った李自成は激怒。見せしめとして呉襄を処刑します。呉三桂は怒って李自成と正面から戦いました。呉三桂の軍勢だけでは形成不利ですが清も加勢してくれたので、あっという間に李自成の農民反乱軍は打ち破られました。李自成はわずか40日間で北京から追われてしまい、呉三桂に追われながら自殺して果てました。
陳円円との再会
李自成を倒して北京に入城した清を待っていたのは、李自成に付き従っていた明の廷臣でした。今度は清に対して臣従を誓っているのです。人間は調子がよい生き物です・・・・・・
呉三桂も陳円円と再会して2人は仲睦まじく暮らすことになりました。めでたしめでたし・・・・・・
降伏の真相
実は呉三桂が降伏したのは陳円円のためではないと言われています。先述したように明が滅んだ時に多くの廷臣が明を見捨てて、李自成や清に降伏することをしています。呉三桂の父の呉襄も李自成に降伏していますし、母方の叔父である祖大寿も清に降伏しています。一説によると祖大寿から説得されたことにより清に降伏したのが本当の話と言われています。では、陳円円が原因で降伏したのはウソだったのでしょうか?
黒歴史を消したい呉三桂
陳円円の話は呉三桂の存命している時からあり、詩にもされていました。呉三桂と同時代に生きていた呉偉業という人物は「円円曲」という詩があります。その中で呉三桂が陳円円のために清に降伏する話を書いていました。この詩が人々の間で大ブレイクしたのですが、呉三桂は喜ぶどころか恥ずかしくてたまりませんでした。
そこで呉三桂は呉偉業に大金を渡して、「悪い詩じゃないけど、私が陳円円のために清に降伏する部分は削ってくれないかな・・・・・・」と頼みます。残念ながら作品に自信があった呉偉業には無視されました。このため呉三桂と陳円円の話はウソとも言い切れないのです。
清代史ライター 晃の独り言
今回は「読者の声」をもとに、三国時代から離れて他の時代にスポットを当ててみました。読者の声には非常にためになるものや気付かされることもあります。全ての願いを聞き入れることは難しいですけど、なるべく聞き入れるように頑張っていこうと思っています。もしやって欲しい時代や人物がいましたらお気軽に声をかけてください。調べて対応しようと思います。
※参考文献
・井波律子『裏切者の中国史』(講談社選書メチエ 1997年)
※はじめての三国志では、コメント欄を解放しています。この記事以外のことでも、何か気になることがあったら気軽にコメントしてください。お答え出来る範囲でしたら回答いたします。
関連記事:姜維の実力を他人はどのように見ていた?