こちらは2ページ目になります。1ページ目から読む場合は、以下の緑ボタンからお願いします。
この記事の目次
手指の消毒により死亡率0%を成し遂げる
センメルヴェイスは、自身の仮説の正しさを証明すべく、解剖室の仕事と妊婦検診の合間に次亜塩素酸カルシウムを使い手を洗浄する消毒法を提示します。
どうして、センメルヴェイスが次亜塩素酸カルシウムを選んだのかというと、産褥熱遺体を取り扱った後の解剖台の臭いを消すのに塩素消毒が最も効果的であった為で、次亜塩素酸カルシウムには、死体の有毒で汚染された粒子を消す働きがあるのではないかと考えた為でした。センメルヴェイスの試みは、産婦を苦しめた産褥熱から女性を救う福音でした。
1847年4月の時点で18.3%だった第一産科の死亡率は、センメルヴェイスの手洗い消毒が導入されたのちの6月には2.2%、7月には1.2%、8月には1.9%と劇的な死亡率の低下をもたらしたのです。さらに、解剖の場にも指導が入った事で、翌年には2回も月間死亡率0%を達成する快挙を成し遂げました。
人類の恩人の悲惨な最期
センメルヴェイスの仮説は、突き詰めると清潔さこそが産褥熱を撲滅する唯一の鍵というもので、それは、次亜塩素酸カルシウムによる消毒作業の結果起きた産褥熱死亡率の激減で証明されました。
しかし、センメルヴェイスの新説は四体液説が主流で、病気は血液、粘液、黄胆汁、黒胆汁、4種類の体液バランスが崩れる事で起こされると信じられた当時の医学の世界では、受け入れられる余地がありませんでした。当時の病気の主な治療法は瀉血で、血を抜く事で体液のバランスが取れるというものだったのです。
それ以上に、当時の医師の反感を買ったのは、医師の手が微粒子で汚染されて不潔であるというセンメルヴェイスの発言によるものでした。
社会的にエリートの地位にある自分達の手が、微粒子とかいう病気の媒介をしているというモノ言いに医師たちは感情的に反発したのです。また、時代の制約でセンメルヴェイスは、産褥熱を引き起こす微粒子が確かに存在するという科学的な証明は出来ないという致命的な弱点を抱えていました。
センメルヴェイスの微粒子説を批判する医師たちには、微粒子がオカルトや魔術の類と変わらない中世への逆行に見えていたのです。反微粒子説の医師もまた、感情的な批判や無理解だけでなく、実証主義の見地からセンメルヴェイスを批判していました。
センメルヴェイスも闘争心旺盛な人で、自分をバカにし批判し、こき下ろす医師や医学者に、質問状を叩きつけて論争しましたが、病院の職を失い非難が殺到するに従い精神のバランスを崩して奇行が増え、1865年に無理やりに精神病院に入れられました。
そして、病院からの脱走を図って数人の衛兵に発見されてひどく殴られ、さらに拘束衣を着せられて暗闇の独房に監禁されるなどし、右手の傷の壊疽が元で47歳で死去します。人類の恩人のあまりにも報われない最期でした。
世界史ライターkawausoの独り言
もう少しセンメルヴェイスが長生きしていれば、彼が微粒子と名付けた存在が細菌と証明され、消毒という感染症に対する有効な手段を産み出した人類の恩人として世界中の賞賛を浴びたでしょうに運命は残酷でした。
しかし、センメルヴェイスの業績は現在の医学にも受け継がれ、私達は消毒という方法で、恐ろしい感染症の恐怖から逃れられるようになりました。この事実こそ、センメルヴェイスが本当に願った研究の成果なのです。
関連記事:赤壁の敗戦の原因は腸チフスだった?多くの魏将の生命を奪った伝染病とは?
関連記事:高杉晋作の死因は感染症結核だった!