キリストが誕生して2020年、お釈迦様が誕生した時から考えても2600年です。こんなにも長い年月が積み重なると人間社会は色々な事が袋小路に入り込んでしまい30年くらい前からポストモダンが叫ばれ、そのポストモダンもたちまち古くなる始末です。
もう、人類文明はオシマイで、衰退していくだけなんでしょうか?
でも、ちょっと待って!お釈迦様が誕生する頃に終わり始めた縄文時代は12000年も続きました。現代文明の6倍も続いた縄文時代ってスゴくないですか?もしかして、縄文時代には現代の私達が忘れた生きていく叡智があるかも知れません。
そこで、今回は『縄文人に相談だ!』望月 昭秀 (著) / 角川文庫より縄文人(になりきった人)のアドバイスを見てみましょう。
縄文時代はいい加減?
私達は縄文時代というと、気候が温暖で狩りをしたり土器を焼いたり、魚や貝を取ったりしつつ、テレビもスマホもパソコンもないけど、それなりに緩くのんびり暮らしていたと考えがちです。
規制がない自由な空気の中で、人々にはオリジナリティが育まれたから独創的な縄文式土器が生まれたとか考えていないでしょうか?
でも、縄文人に相談だ!によると、それとんでもない大間違いらしいです。
例えば、燃える炎のような造形で有名な火焔型土器は、とても独創的ですが、あれは新潟県で500年間に亘って造り続けられたものです。そう!火焔型土器は一人の陶芸の天才が産み出したのではなく、500年間、この形で土器を造るように指示・監督をする人がいて、たくさん造られた土器の一つなのです。
しかも、驚くべき事に火焔型土器は、出土する土器という土器に失敗作がなく、全部一定以上のクオリティがある事で知られているので、この500年間、新潟には火焔型土器職人が大勢いて、厳しいプロ目線で土器を焼いていた事が推測されます。
自由に造っていいよ!では、どうしたって土器のクオリティにムラが出るからです。少なくとも土器に関しては、縄文時代でも厳しい指導があったんですね。
縄文時代は身分制もお金もない時代、さぞかし恋愛も自由だったように感じます。しかし、縄文人に相談だ!によるとこれも現代人の思い違いがあるようです。
確かに恋愛は自由だったようですが、当時の人類の平均寿命は30年と短く、同時に栄養状態も今よりも遥かに悪いので、女性が子供を産める年齢の上限も低くなっていました。
おまけに、当時の縄文の村では、1人の女性につき5人の子供を産まないと村が維持できなくなる状態だったそうです。つまり、時間を掛けて大勢の異性と恋愛遍歴を重ねてゴールインという今風の恋愛は、縄文時代ではかなり迷惑であり、「村の為に早く結婚して子供造れよこの野郎!」という圧力があったに違いありません。
でも、婚姻届けも離婚届も要らないし、お金がないから相続で揉める事もないですし人口の絶対数が少ないから、健康でさえあれば顔の美醜もあまり問題にもなりません。とにかく結婚したいと言う人にとっては、縄文時代は良い時代かも知れませんね。
縄文人はそんなにクリエイティブではない
縄文時代と言うと、自由な発想で様々な土器が焼けたように考えてしまい、縄文人はクリエイティブな人だらけだと考えてしまうかも知れませんが、これも縄文人に相談だ!によると、そんな単純な話ではないようです。
実は縄文土器、出土する土地により固有の形式があり、大体同じタイプの土器が出てきます。縄文土器は現在の企業ロゴのように意図的に決まった形の土器を焼いていたのです。
だから、クリエイティブな人にとっては、来る日も来る日も決められた土器しか焼けないのは苦痛だったかも知れませんね。むしろ職人気質で、土器の技術水準を上げる事に関心がある人の方が土器づくりは楽しかったりしてね。
縄文時代は超監視社会!でも安心
現代は監視社会で、街のいたるところにカメラがあり、個人情報はカード一枚で管理され、どこにいても見られているような感じがして、本当の自由を感じる事が少ない時代です。現代から考えると、縄文時代は監視カメラもインターネットもないので監視社会とは無縁だと思いがちですが、これも大きな勘違いで、縄文時代は超監視社会だと、縄文人に相談だ!では書いています。
縄文人を監視していたのは、自然という神でした。万物には神が宿るという素朴な信仰を縄文人は持っていて、よくない事をすれば必ず報いを受けさせられると信じていたのです。でも、縄文人はこれを怖いとか気持ち悪いとか考えたりせず、24時間神が見守ってくれていると安心感を覚えていました。そして、神様に叱られないように、正しく生きようと多くの場合は考えたようです。
あれ?同じ監視社会でも現代とは随分違いますね。
縄文時代にゴミはない
現代人はゴミに囲まれていると言っても過言ではありません。kawausoの周囲には戦国や三国志や経済の本が積まれていますが、商売が変わったり歴史に興味を持てなくなれば、これらは即座にゴミになるでしょう。読者の皆さんも推しが変わったりして、不用になった大量のグッズを売却したり捨てたりした経験をお持ちだと思います。
そう考えると、今、私達の周囲にあるのは将来のゴミ予備軍であり、私達はゴミに囲まれて生活しているとも言えるでしょう。でも、縄文人に相談だによると、縄文時代にはゴミはありませんでした。
嘘つけ!貝塚は縄文時代のゴミ捨て場だろう!と突っ込む人もいるでしょうが、少なくとも縄文人の感覚での貝塚は、私達が考えるゴミ捨て場ではありません。
貝塚とは使命を終えた道具や命を森という神に送り返す儀式の施設なのです。縄文人は生活の全てを森や海や川のような自然に頼っていたので、全てのモノは神様から借りたもので、私と物事を為す為に来たのだと考えていました。
その為、食べ物は残さずに食べていましたし、土器のような道具も壊れても補修して使える限りは最後まで使い続けてから貝塚に送っていたのです。使い続けてボロボロになってから貝塚に送るのですから、思い出一杯で泣きながら見送ったのでしょうね。
これも、モノが溢れた現代人が見習うべき考え方だと思います。
縄文時代は約束厳守社会
縄文時代と言うと、約束ものんびりとしたルーズなものだと感じるかも知れません。それに比べれば、万事に締め切りがある現代のなんと窮屈な事かと・・・。でも、これも、縄文人に相談だ、によるとそれも縄文時代を知らないが故に起きる大きな誤解というものです。縄文時代には、メールどころか電話もありません。
なので、縄文時代では遠い所にいる人と一度約束を交わして、約束を破ってしまうと再び会う事自体が難しくなるのです。そればかりか、予定が変わったから会う場所をどんぐりの木からナラの木に変更してという事さえも簡単には出来ません。どんな不都合が生じようと、約束の場所に行かないと何も出来ないのです。
もちろん、縄文人は辛抱強いですから、約束の日にあなたが来なくても、「あれ?日時を間違えたかな」と思って、それから数日、約束の場所に足を運ぶかも知れません。そんな苦労を相手にさせるとしたら、とてもいたたまれなくて約束を破る気にはなりませんよね?
それに比べれば、いかに現代が締め切り社会と言っても、電話やメールで自由に予定を変えられる余地があるのですから、縄文時代よりは恵まれていると言えるでしょう。
農耕民は狩猟民よりも狂暴
一般に、農耕民は温和で狩猟民は獣を狩るのだから狂暴というイメージが流布しています。でも、縄文人に相談だ、によると、それもとんでもない言いがかりです。縄文人のような狩猟民は、自然の恵みを受けて生きていたので、食べ物を争う必要がありません。でも、農耕民は稲作して蓄えた穀物や土地を巡って縄文人よりも何万倍も紛争を繰り返したはずです。
しまいには、国が一つに統一されれば争いは無くなると言って日本中で大戦争をして、沢山の人々が死んだのではないでしょうか?
それを見れば、狩猟民族が農耕民より狂暴だなんて言えない筈ですよ。
kawausoの独り言
縄文人に相談だを読むと、良い意味で縄文時代への偏見が覆されるような気がします。
従来イメージの縄文時代はとても緩い社会で、朝から晩まで好きな事をして過ごし、テレビもスマホもない代わりに、締め切りも束縛もないなんて言うのは幻想でした。本当の縄文人は、クオリティが高い土器を厳しい監督の上で焼き上げ、通信手段が直接会う以外ないので、一度約束を違えると相手に大きな迷惑をかけてしまう社会なのです。
でも、健康であれば難しい手続きなしに結婚できたし、神様が四六時中見守ってくれていると信じていたので、善良な人が多くて安心できたし、物は少ないけど最後まで大事に使うなど、毎日を一生懸命丁寧に生きている社会だったんです。
ここまでに挙げた以外にも、縄文人に相談だには、全部で90の縄文人(になり切った人)への質問への解答が載っていますので、読んでみて下さい。