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魏延の謎
ただ正史を見直していくと、そこまで魏延は大量に記述があるわけではありません。しかし魏延は漢中太守を任されるくらいですから、それに見合うだけの働きをしていたと思います。ここで気になるのが魏延の出自、劉備に仕える前です。
三国志演義では降将ですが、正史において魏延の出自や配下になった経緯は良く分かっていません。もしかしたら魏延は劉備に長く使えた兵卒で、出世していったのでは……このため魏延の伝でもその身分をはっきりと書けなかったのではないかと思うのです。そう考えると魏延の謎の出自にもちょっとロマンがありますね。
難のあった面
と、色々と書いてきましたが、魏延は確かに有能、しかし欠点がなかった訳ではありません。
魏延は有能、誇り高く、武人として頼りになる人物でした。実際に諸葛亮も魏延を頼りにしていたでしょう。しかし魏延はその性格から同僚とぶつかり合ったりしていたことが、諸葛亮としては頭を悩ませていたと思います。
北伐の最中に諸葛亮への愚痴をこぼしていたのは、その性格の一片が窺い知れますね。個人的に諸葛亮と魏延は目立って不仲ではないとは思いますが、魏延にも魏延で難点があったのでしょう。そしてそれに対応できるだけの時間も人材もなかったのが蜀の不運とも言えると思います。
長安奪取作戦
最後に少し、北伐の際に魏延が考えた作戦について、筆者なりの意見を述べさせて頂きます。あくまで後世の一意見ですが、やってみても良かったのではと思います。この時点で魏に勝てるかもしれない、ある意味最後の作戦でした。もちろん成功した後にそこからどうするか、の問題は山積みであることは否定しません。
これも後世だから言えることですけれど、どうなっていたか……の想像は何だか楽しみもあります。
よく言われる長安奪取作戦、皆さんは魏延のこの作戦をどう思いますか?
三国志ライター センのひとりごと
魏延は決してただ諸葛亮と不仲で、謀反を起こした裏切り者ではありません。きちんと評価され、将来を期待されていた有能さを持っていた武将でしょう。もちろん手放しに優秀で、問題も欠点もない武将であったとは思いません。しかしそれでも個人の有能さは、しっかりと評価していきたいですね。
参考文献:蜀書魏延伝 先主伝
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