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孫権はボロボロの宮殿に住んでいたってホント?


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孫権のボロボロの宮殿(1P目)

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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孫晧の宮殿は仕方なかったのでは?

孫晧(孫皓)

 

さて、孫晧が新築させた顕明宮ですが、太初宮が720メートル四方だったのに対して、1200メートル四方と面積が倍近くもあります。しかも、顕明宮には、工芸の限りを尽くしたとされ、その為に国庫が空っぽになったそうですから、後世の歴史家に孫晧が暴君として攻撃される根拠になっています。

 

でも、その前に、孫権の太初宮が武昌宮の古い資材を使って建築した宮殿なら、19年の間に、また相当老朽化が進んだとしても不思議はありません。

 

建業を捨てて武昌に首都移転する孫皓

 

孫晧としては、

「もう限界だ!朕は皇帝だぞ、いくら祖父大帝(そふたいてい)の築かれた宮殿とはいえ、こんなボロ宮殿にいつまでも住んでおられるか!新築だ!しんちくーーー!」

 

みたいに、我慢できなくなって顕明宮を築いたんじゃないでしょうか?

それなら、孫権の並外れたドケチにも責任の一端はあるような気もします。

 

三国志ライターkawausoの独り言

kawauso 三国志

 

孫権の趣味は、狩猟と宴会くらいなもので、それはそれなりにお金は掛かりますが、曹叡(そうえい)のように大宮殿を築くのに比べれば、民衆に負担を掛けない質素な趣味と言えます。

 

しかし、孫権の住居に対する質素ぶりは、ちょっと(けた)が外れていて、孫権に仕える重臣たちは、さぞや迷惑したんじゃないかと思えてなりません。孫権が頑固にならないで、新宮殿を造営すれば孫の悪行が1つ減ったかも知れないのにね。

 

参考文献:正史三国志 江表伝

 

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kawauso

台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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