今日のkawauso18「木簡で漢文なら可能なパズル」

2020年8月23日


監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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はじめての三国志コメント機能バナー115-11_bnr1枠なし魏晋世語(書類)

 

三国志の時代、まだまだ紙は貴重で文書としては木簡、竹簡と半々ぐらいだった。

この木簡は、幾つかの長方形の板を紐で繋いで出来ていたので木簡をバラバラにして、別々に繋ぎ合わせると、文字は同じなのに全然別の意味になったりする。

三国志の時代に、この木簡と漢文の特性を使った計略があった。

孫権

 

曹叡(そうえい)の時代に散騎常侍(さんきじょうじ)、中書令だった劉放(りゅうほう)は青龍年間に、たまたま国境の警備兵が入手した孫権から諸葛亮への木簡を手に入れた。

この頃、諸葛亮と孫権は緊密で、よく結託して魏に攻め込んでいたから、劉放は二人の関係にくさびを打ち込もうと孫権の木簡の内容を改竄し、文字列をあれこれ入れ替え、孫権が魏の徳化になびこうと考えているかのように文面を変化させ、宛先を征東将軍の満寵(まんちょう)にして再び封緘して諸葛亮に渡るようにした。

孔明

 

さすがに諸葛亮も驚き、すぐに早馬を出して文書を呉の大将の歩隲(ほしつ)に手渡した。

歩隲が急いで手紙を孫権に渡すと、孫権は諸葛亮が疑いを持つだろうと考え、自分でねんごろに弁明して誤解を解いた。

※正史三国志 劉放伝

 

文字を偽造するのではなく、漢文の並びを変えて意味を変えてしまうとは、劉放はかなりの頭脳プレイヤーだと思う。

 

前回記事:今日のkawauso17「恥ずかしながら帰って参りました!」

 

北伐の真実に迫る

北伐

 

 

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台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

-kawauso編集長ぼやき