観たいなら金払え!ビジネスになる五輪


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幻の1940年の東京五輪 いだてん

 

かつて五輪は儲からず、開催国のお荷物になっていた時期があると言ったら、今の最高のビジネスチャンスに変貌したオリンピックしか知らない若い人は意外に思うのではないでしょうか?

 

東京五輪のボランティア いだてん

 

でも、嘘や冗談ではなく、1956年の第16回メルボルン五輪まで、オリンピックは企業スポンサーを一切容れず、個人や団体の寄付や入場料、税金で賄われていました。

 

今日では、なかなか豪勢な暮らしをしているIOC委員も、当時の活動費は自己調達で援助は乏しく、二代目のIOC会長だったクーベルタンは自腹で活動費を出し続け1億7000万円も使い会長退任寸前には貴族だったのに破産していたほどです。

 

そんな五輪も1960年のローマ大会からはテレビジョンの普及により、お茶の間から観戦できるようになり、何億人が視聴する巨大な広告塔の役割を果たすようになりました。近代五輪の最終回はビジネス化する五輪を解説します。


テレビの普及が広告塔としての五輪を産む

テレビを視聴するkawauso編集長

 

1960年の第17回ローマ大会は、オリンピックに企業の金が入り始めた最初の大会でした。その大きな契機はテレビジョンの爆発的な普及で、CMによる企業広告が消費者の購買欲を煽り、売上を大きく伸ばし始めたのです。

 

野球を応援する女子(女性)

 

それまで、オリンピックを生でみるには、オリンピック開催地のスタジアムに足を運ぶ以外ありませんでしたが、テレビの登場で、地球上の何億という人々がリアルタイムに近い形で、世界最高峰アスリートの競技を観戦できるようになったのです。

 

これに企業が目をつけないわけはなく、ローマオリンピックからオリンピックのテレビ放映権が販売されるようになり、同時にテレビに映し出されたアスリートは、プーマやアディダスなど特定企業のスポーツ用品を使用して広告塔の役割を果たすようになります。

 

ただし、1952年に5代目IOC会長になったアベリー・ブランテージは、ガチガチのアマチュアリズムの人でプロ選手も企業も非常に毛嫌いし商業主義と対立しました。第18回、1964年の東京五輪では、コカ・コーラが選手村の食堂に並びますが、コカ・コーラは、ブランテージとの対立を回避すべく自社製品を売るのではなく寄付という形で選手村に提供します。

 

企業からすれば、無料で提供したシューズや飲料、運動器具がテレビに映るだけでも、宣伝効果は膨大なもので、別に惜しくもありませんでした。こうして、ブランテージの反対を押し切る形で緩やかに五輪に商業主義が浸透し始めます。


シュランツ自己犠牲精神でアマチュア規定を削除!

 

1972年冬季五輪、札幌大会でアマチュアリズム絶対のIOC会長アベリー・ブランテージとアルペンスキーヤーのオーストリア代表カール・シュランツが、商業主義を巡り激突します。当時のアルペンスキーの選手はスキー板にメーカーのロゴを入れていて、その広告収入を報酬として生計を立てていましたが、ブランテージはこれをプロ行為であり、オリンピック憲章に反すると問題視しました。

 

アマチュアリズムの信奉者であるブランテージは、メーカーロゴをつけたスキーヤーを商業主義の広告塔と非難、見せしめとして、最も目立つシュランツを出場失格にしたのです。これにより他の選手の一罰百戒を期待したブランテージですが、オーストリアのスキー選手は激怒して全員で五輪のボイコットを表明します。

 

ところが、ここでシュランツは「失格は俺1人でいい、君達は残り、悲願の金メダルを獲ってくれ」と1人だけ帰国しました。この自己犠牲精神で、シュランツはオーストリアで英雄として讃えられ10万人の歓迎を受ける事になります。

 

これにより、ブランテージのやり方は、時代錯誤の見せしめだと国際批判が高まり、ブランテージが1972年にIOC会長を辞任すると、IOCはオリンピック憲章に長く残ったアマチュア規定を削除したのです。以後、オリンピックにはスポーツで収入を得ている選手も堂々と出場できるようになりました。

 

この年には、第20回ミュンヘンオリンピックが開催。黒い九月事件という五輪史上最悪のテロが起き五輪の政治化が進む一方、初めて大会エンブレムを使用した関連商品の販売、大会マスコットのライセンス契約等も始まった印象深い五輪になりました。


巨大化し開催都市の手に負えなくなる五輪

 

1976年の第21回モントリオール大会は、公式サプライヤー、公式スポンサー、公式ライセンシーの現代の五輪の基本形が整う大会でした。ところが、質素な大会にすると言っていたはずの地元市長が豪華すぎる巨大スタジアムを建設したせいで、オリンピック収益を上回る大赤字が発生します。

 

これらの費用は、結局モントリオール市民の税金としてのしかかり、世界中で過重なオリンピックの費用を巡り市民の不信感が加速していきました。

 

1980年は第22回モスクワ五輪で、社会主義国初のオリンピックとして話題になりますが、この五輪では、テレビ放映権料、公式サプライヤー、公式スポンサー、公式ライセンシーからの収入が入場料収入を遥かに上回りました。これは五輪がすでにいかに巨大な都市でも単体では予算を賄えないほどに巨大化した事を意味しています。


オリンピック民営化のルーツ ロサンゼルス五輪

 

ソ連のアフガン侵攻に対する、西側諸国のボイコットに揺れたモスクワ五輪の次の開催地ですが、何と巨額の開催費用がネックになり立候補に名乗りを挙げた都市が、ロサンゼルスだけという異常事態になります。

 

おまけに、そのロスでも、オリンピックに税金を使う事に反対する市民運動が激化、オリンピックは中止の危機を迎えます。しかし、代替候補地はゼロ、もしロスが辞退すれば、オリンピックは中止です。

 

これを受け7代目IOC会長、ファン・アントニオ・サマランチは、これではとてもタマランチ(親父ギャグ)と観念し五輪の民営化に舵を切ります。サマランチの方向転換のお陰で、ロス五輪はスポンサー料で大幅な黒字を記録、儲かるオリンピックに開催地候補も続々と名乗りを挙げ、オリンピック存続の危機は回避されます。

 

しかし、商業化の加速はドーピングと汚職を蔓延させると同時に、アスリートのパフォーマンスよりもスポンサーの意向という無数の本末転倒をもたらすのです。

【次のページに続きます】

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