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観たいなら金払え!ビジネスになる五輪


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ビジネスになる五輪(1P目)

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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五輪が真夏に開催される本当の理由は?

 

オリンピックの独占放映権は、1968年、メキシコ五輪大会辺りから跳ね上がりました。その後も放映権料は上がり続けていますが、その放映権は1社しか買う事が出来ません。つまり独占放映権であり、こうして放映権料を跳ね上げるのがIOCの狙いでした。このオリンピック独占放映権を毎回買い取っているのがアメリカの放送局NBCです。

 

当然、NBCはアメリカの放送局ですから、アメリカの視聴者の視聴率を一番気にします。だから、アメリカと時差がある地域のオリンピックでは、アメリカのゴールデンタイムに合わせて競技プログラムが組まれる事になりました。

 

例えば、1988年のソウル五輪、本当は100m男子決勝は、夕方5時というプログラムでしたが、それではアメリカは真夜中になるので視聴率が取れません。

 

そこで、NBCの抗議が通り、午後1時半という最も暑く選手のパフォーマンスが上りにくい時間に競技プログラムが変更されたのです。まるで選手の事など考えないNBCの都合でした。

 

実は、オリンピックの開催時期もNBCの意向で変更されています。最近のオリンピックはどれも8月という真夏に行われますよね?この理由は、アメリカで人気の4大スポーツが野球を除き、8月がオフシーズンだからです。

 

つまり、他のスポーツとオリンピックがバッティングし視聴率が下がる事をNBCは恐れたのであり、全てアメリカの視聴者の都合という事です。ちなみに1964年の東京五輪は暑さが弱まった秋、10月10日に開催されました。その名残りが10月10日の体育の日なのです。

 

激化するドーピング合戦

 

今でこそ、ドーピングに厳しい態度を取り、WADAという独立組織を置いてドーピングを取り締まるIOCですが、昔は、スポーツの祭典のイメージダウンとしてドーピング検査には消極的な態度を取っていました。

 

そもそも、近代オリンピックとドーピングの歴史は古く、第1回のアテネ大会でマラソンの優勝者が競技途中にアルコールを摂取した事に始まるのです。

 

例えば、1960年のローマ大会では、自転車のデンマーク代表、ヌット・エネマルク・イェンセンが競技中に転倒して頭を強打して死亡します。当初、死因は熱中症と考えられましたが、検査の結果、興奮作用のある覚せい剤、アンフェタミンが大量に検出されたのです。

 

IOCの態度が改まるのは、1988年のソウル五輪で、陸上男子100m決勝に進出して世界記録9秒79を出して金メダルに輝いたベン・ジョンソンのケースからでした。

 

彼が金メダルの栄光に包まれた僅か2日後、ベン・ジョンソンの尿から筋肉増強剤のスタノゾロールが検出され、世界記録は抹消、金メダルも剥奪されたのです。世界は金メダリストのドーピングに衝撃を受け、イメージダウンを恐れたIOCは、以来、ドーピング摘発に前向きになります。

 

スポーツマンシップはどこへ?薬物と金まみれの五輪

 

ところが商業化し、大量の金が動くようになった近代五輪では、メダリストには大勢のスポンサーや助成費がつくようになり、どんな手を使おうと勝てばいいという風潮が蔓延。ドーピングに手を染める選手は、増える事はあれど、まったく後を絶ちませんでした。

 

例えば、2004年のアテネ大会では、35人のアスリートと2頭の馬が検査に引っ掛かり失格になっており、時を経る程ドーピングの種類も多種多様になっていきます。

 

例えば、、

①自分の血を事前に採血し、競技前に輸血して持久力を上げる血液ドーピング

②特定のホルモンをつくる遺伝子のDNAを手足の筋肉に注射しパワーやスタミナを上げる遺伝子ドーピング

③わざと妊娠して、妊娠初期に出るホルモンを利用し筋肉を増やし時期が来たら中絶する生命を冒涜した中絶ドーピング

 

手を変え品を変え、ドーピングは続きWADAの検査項目は毎回増え続けています。

 

また、個人ばかりか共産圏では五輪は国威発揚の道具として尊重され、アスリートはメダルを獲得すると一生の生活が保障され、コーチもその恩恵を受けました。こうして国家ぐるみのドーピングが行われ、現在では、旧東ドイツやソ連はドーピングの悪質な常連であった事が分かっています。

 

特にロシアはソビエト時代の悪弊が治らず、WADAにドーピングで摘発されまくった挙句、2016年のリオ五輪、2018年の平昌冬季五輪から排除されました。ドーピングばかりではなく、金銭で審判を買収したり、IOC委員に多額の接待をするなどで五輪誘致を勝ち取るなど、スポーツマン精神を地に落とした腐敗は数限りなく起きています。

 

kawausoの独り言

kawauso 三国志

 

以上、近代五輪を駆け足で見てきました。近代オリンピックの歩みは理念と現実との戦いの歴史だったと言えます。最初は資金不足に悩み、次には国と国のナショナリズムの激突に悩み、人種差別やプロとアマチュアの対決、テロの誘因、社会の様々な矛盾解決のPRの場としての性格と純粋なスポーツの祭典の板挟みで悩みました。

 

そして今は、金になるオリンピック、商業化の加速で、ドーピングと汚職がオリンピックの理念を蝕んでいます。五輪不要論が囁かれるゆえんですが、それでも、kawausoは、今回五輪について勉強し、オリンピックは必要なんじゃないかと思っています。

 

陸上アメリカ代表の黒人のジェシー・オーエンス

 

例えば、1936年のベルリン五輪でアーリア人種の優越という歪んだ思想をドイツ国民に教え込もうとしたアドルフ・ヒトラーに対し、アメリカ南部の黒人出身のジェシー・オーエンスが、陸上競技を4連覇し人種に優劣がない事を証明して、ヒトラーの野望を打ち砕いたのが、その好例ではないでしょうか?

 

これらは、ジェシーがヒトラーの顔を潰そうとして起こしたわけではなく、ただ真摯に競技に臨んで勝利した事で得られた奇跡でした。そして、同時にスタジアムの観客は、自分達の顔を潰されたと怒るのではなく、この人種も文化も違う一人のアスリートの健闘に惜しみない拍手を送り讃えました。

 

聖火を持って走る古代ギリシャ人

 

古代オリンピックの精神は、汝のもてる力のみで勝てであり、近代五輪もそれを受け継ぎます。アスリートが競技に真摯に取り組んだ時、人種も民族も、性別も、思想も信条も恩讐さえ超えて、人類の心を一つにする力があるのだとkawausoは信じます。

 

参考文献:ざんねんなオリンピック物語

 

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近代オリンピック

 

 

 

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kawauso

台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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