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潘璋の性格
こう書いていると豪快な性格を孫権に気に入られ、順当に出世するも関羽に関わったために三国志演義では悪人にされた被害者武将の一人……と思うかもしれませんが、実は潘璋についてはその性格が問題視される部分もあります。
と言うのも、潘璋は若い頃は貧乏でした。そのせいかは分かりませんが、潘璋は財産を持っている役人や部下に罪を着せて罰し、金品を没収するというとんでもない悪行が歴史書に記されてしまっているのです。
孫権「まあえええわ」
当然ながら潘璋の行動は許されることではありません。何人もの役人たちがこの潘璋の悪行について上奏しました。しかし潘璋自身が功績を挙げていたこと、そして潘璋自身が孫権自身の部下であることから孫権は処罰を躊躇い、結果的に潘璋が裁かれることはなかったといいます。こういう一面があるためか、潘璋の人物像が良い武将なのか、悪人なのか、判断しにくい所があるんですよね。
潘璋は名将か?悪人か?
個人的な意見だけで言うと、呉に良くいる将としては有能だけれど人間的にはそれどうなの?という人物でしょうか。やっていることが小悪党なので筆者の意見ではあまり名将とは呼びたくない……というイメージです。
ただ潘璋の存在は、孫呉と言う国を表している武将だと思います。呉は豪族が多く、皇帝である孫権直属の部下自体は少ない国でした。このため潘璋のような人物を罪に問いにくい……減らせない、という良くない一面があったのです。それを知ってか知らずかは分かりませんが、潘璋のような問題行動を起こすような人物が多かったのかな、と思います。
呉の二代目と皇帝
因みに潘璋の息子は素行が悪く、孫権からは遠ざけられました。また、同じく素行が悪いが孫権からは重用された甘寧の子もまた、罪を犯したことで流罪にされました。
孫権はこう見ると素行が悪くてもその部下に良い所があれば見逃す面があります。しかし同時にその部下に良い所がないと……という、厳しい面もしっかりとある所を確認することができるのですよね。やはり孫権もまた、乱世に生きる皇帝、と言った所でしょうか。
三国志ライター センのひとりごと
呉は豪族が多くいました。その中でも国内に一族がおらず、後ろ盾のないまま重用された武将も多くいます。が、彼らの子たちは大体やらかしてしまい、その地位を失っています。
やらかして許されるのは大抵がそれだけ強い後ろ盾があるか、それだけ自身に価値があるか、この二択です。そう思うとさっさと見切りをつける孫権もまた、王だったのだな、と強く思わずにはいられませんでした。
参考文献:呉書潘璋伝
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