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ナポレオンが欧州最強だった4つの理由

2020年11月1日


 

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ナポレオン

 

ナポレオン・ボナパルトと言えば、そんなに世界史に詳しくなくても知らない人はいないフランスの英雄です。その生涯勝率は9割ともされ軍事の天才の名をほしいままにしたナポレオンですが、では、彼の強さの秘密はどこにあったのでしょうか?

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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ナポレオンの強さ1 国民軍

フランス革命

 

フランス革命当時、欧州諸国が保有した軍隊は、ほとんどが傭兵か、そうでなければ庶民を棍棒(こんぼう)で殴って失神させ拉致(らち)してきたような士気の低い兵士ばかりでした。

 

元々は、フランスもそうでしたが、革命が起きてルイ16世が処刑される事態になると、軍を統率していた貴族の将校たちは、革命を恐れ国外に逃げてしまいます。

 

王政フランス軍は国王の所有物で、国民を守る為に存在するわけではないので当然でした。一方で、国王処刑のニュースに触れたフランスの周辺国は、革命が自国に波及する事を恐れ、共和国フランスに宣戦を布告して、大挙して攻め込んできたのです。

 

困ったフランス革命政府は、貴族が所有していた土地を人民に分け与えて国家非常事態を宣言し「革命を守る為、フランス人民よ武器を取れ!」と呼びかけました。

 

「もし、革命が潰れれば逃げた貴族が舞い戻り、折角得た俺達の土地が奪われる!」

そう思った人々は呼びかけに応え自ら武器を取り、フランス軍に続々志願したのです。

 

これが世界で初めての国民軍の誕生で、お金の為や貴族に脅されて渋々戦う、王国の軍隊とフランス軍では最初から戦闘力に大きな違いがあったのです。

 

ナポレオンの強さ2 革命の輸出

軍事の才能もピカイチなナポレオン

 

ナポレオンの強さの2つ目は、フランス革命の輸出にあります。フランス革命は人民を搾取(さくしゅ)する王や貴族、聖職者を打倒して人民を解放する事がスローガンでした。フランスの三色旗のシンボルである、自由、平等、同胞愛です。

 

そして、当時の欧州は、どこでも王政であり、人民は多かれ少なかれ、俺達は搾取されていると感じていました。

 

そこにナポレオンが解放軍としてやってきたらどうなるでしょう?

はい、そうです。他国の人民はフランス軍の為に、物資を提供して援助しました。

 

かたや人気のない王国軍に人民はそっぽを向き非協力的なので、王国軍はやむなく重い物資を背負い、のろのろと行軍するしかありません。ナポレオンの軍隊は敵国人民の支持を得て、身軽に迅速に動き、動きの鈍い王国の軍隊に連戦連勝したのです。

 

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ナポレオンの強さ3 機動力

機動力の高さも欧州一だったナポレオン

 

ナポレオンが強かった理由の3つ目はその機動力の高さです。最初に述べたように、フランス軍は国民軍であり、兵士には土地を守る為に戦うという強いモチベーションがありました。

 

だから、上官の命令もよく聞き、当時の王国の軍隊では絶対にできない、駆け足、雨や雪の中の進軍、夜中の進軍をこなし、露天で眠る事になっても文句を言いませんでした。これは、今では当たり前ですが18世紀には革命的な事であり、当時の王国の軍隊は夜間行軍をすれば兵士は逃げ、雨が降ると進軍を嫌がりました。

 

また、当時の戦争は予定の戦場に、軍隊がわらわらと集まってから開始されます。つまり、フランス軍は敵が集まる前に戦場に素早く集結して休憩を取り、敵がダラダラと集まりだしたら、一気に機動力を駆使して動き回り、これを難なく撃破していたのです。

 

それに、当時のフランス軍には身分制がなく平等なので、手柄を立てれば兵卒から将軍になるのも夢ではありませんでした。そのため若く才能と野心がある貧しい人々が大勢志願し、質も高くなっていました。

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kawauso

kawauso

台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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