犬山城とはどんなお城?楽しみ方や魅力を紹介!小牧・長久手の戦いの戦場にもなった


 

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犬山城 f

 

犬山城(いぬやまじょう
)
の最大の魅力は、なんといっても戦国時代(1537年)に建てられた、現存する天守(てんしゅ)では日本最古の様式であるということです。であるがゆえに「国宝」に指定されています。

 

日本に存在している多くの城は、名古屋城のような復元された城を含め、関ヶ原の戦い以降に建てられた城です。そのせいか、天守と言えば白い壁(外部の全表面を漆喰で仕上げる「白漆喰総塗籠(しろしっくいそうぬりこめ)」という技術)の印象が強いですが、戦国時代の城は炭や黒漆、柿渋を塗った板を貼り付けた黒い壁でした。また関ヶ原以降は戦(いくさ)の為の城という意味合いは薄くなり、領地の統治という色合いが強くなっていきますが、犬山城は、戦のために造られた城です。ですので、戦国時代に思いを馳せるにはうってつけの場所なのです。

 

戦国時代にタイムスリップする、そんな視点で訪れていただきたいとの思いで、今回は記事を書かせていただきました。

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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足腰が達者なうちに行かねばならない、築城当時そのままの城

 

何度か改修はされていますが、基本的な造りは戦国時代のままです。ですので天守内を見学するためには狭い急階段を昇っていく必要があります。そして昔の人は背が低かったのでとにかく造りが全体的に低い、低い。従って、足腰がおぼつかなくなってしまった後では、充分に楽しむ事は出来ません。いつか行こうではありません。今行きましょう。

 

天守は地下もある四階構造になっています。地下に出入口があるのですが、天守を支える梁や石垣を間近でみることができますので、のっけからワクワク感が止まりません。

 

日本戦国時代の鎧(武士・兵士)

 

一階は比較的広めの造りになっており、四つの間を武者走が取り巻いています。戦国武将になりきり、甲冑(かっちゅう)を着て走り回ってみたい気分に掻き立てられますよ。二階には武具の棚が置かれており、ここも広めの廊下が外周をぐるりと廻らされており、防御のために走り回る武将をイメージせずにはいられません。南北には唐破風(からはふ)が、東西には入母屋破風(いりもやはふ)が施されています。ちなみに破風(はふ)とは屋根の造形のことです。天守には必ず三角形の上の部分と言いますか、「入る」という字に似た部分と言いますか、装飾として用いられており、東南アジア各地で見られるそうです。外に少し張り出した形になっていますので、天守内から眼下をみることができます。四階にあがると周囲が全て望楼となっており、東西南北眺めることができるのですが、ここからの眺めが絶景です。ぜひ天気の良い日を選んで行っていただきたいものです。

 

望楼から城下を眺め、戦国時代に思いを馳せる

 

犬山城は木曽川沿いにある、川側が断崖絶壁にちかい小高い山の上に建っています。別名「白帝城(はくていじょう)」とも呼ばれていますが、これは中国・長江流域の丘上にある「白帝城」を詠んだ李白の詩「早發白帝城」(早に白帝城を発す)にちなんでいると言われています。

 

詩の意味は、朝焼け雲に染まる白帝城に別れを告げてから千里も離れている江陵まで、一日で着いた。川の両岸では猿がひっきりなしに鳴いておりその鳴き声がやまないうちに、船はたくさんの山々を飛ぶように過ぎていった。

 

犬山城の近くには日本モンキーパークという、猿の聖地があります。昔から猿が多かったんでしょうね。名付け親である、江戸時代の儒学者「荻生徂徠(おぎゅうそらい)」は犬山城に訪れた際、この詩が頭に浮かんだようです。

 

劉備の臨終に立ち会う孔明

 

ちなみにこの詩に出てくる中国の白帝城(はくていじょう
)
は三国志の舞台にもなっており、劉備玄徳(りゅうびげんとく)が即位した城として有名です。話を戻しましょう。犬山城の北側は眼下には物流の要衝であった木曽川を眺めることができます。

 

悪い顔をする斎藤道三

 

川の向こうは築城された時代には尾張(今の愛知県西部)と敵対していた、まむしこと斉藤道三(さいとうどうさん)が有名な美濃(今の岐阜県南部)の国です。昔は高い建物などなかったわけですから、尾張側からすると、美濃側で何か動きがあればすぐに察知することができます。最前線の見張りの基地としては最高の立地です。美濃側からすれば、目ざわりで駆除したいところですが、木曽川と断崖絶壁が阻んでおり、容易に攻め落とすことが出来ません。

 

南に目を向けると広大な濃尾平野が広がっています。小高い山の上に建っていますので、遠くまで良く見渡すことができます。当時の尾張は肉親同士の争いを含め、小競り合いを繰り返していたようですから、美濃ばかりに気を取られているわけにはいかなかった筈です。後述しますが、実際に犬山城は信長軍に攻め込まれています。

 

鎧兜姿の斎藤道三

 

南から敵が攻めてきたらすぐに察知できることが、四階の望楼に行くと実感できます。木曽川の対岸である美濃側で斉藤道三の大群が戦の準備をしている様や、南側から織田信長の大群が進軍してくる様など、イメージを膨らませながら四階の望楼から景色を眺める時間は、歴史好きにとって至福の時間になること、間違いなしです。

 

築城は信長の叔父である織田信康 尾張と美濃の最前線

織田信秀(おだのぶひで)は信長のお父さん

 

犬山城を築城したのは、織田信長の父である織田信秀(おだのぶひで)の弟、つまり織田信長の叔父にあたる織田信康(おだのぶやす)です。織田信秀に従い、今川氏との小豆坂の戦いなどで戦功を挙げています。しかし信康の子である織田信清(おだのぶきよ)は信秀や信長に対して反攻的であったため、敵対勢力となりました。

 

虎といちゃつく織田信秀

 

最終的には前述したとおり、信長軍に攻め込まれて1564年に陥落しています。犬山城は北側からの防御、つまり美濃に対する防御は完璧なのですが、南側から大群に攻められたら立地的にもちょっと厳しいですね。現存している城は関ヶ原後に築城されたものも多く、名古屋城や仙台・青葉城などは実際に戦場になったことがありませんが、そういった意味では犬山城は戦火を潜り抜けてきた実績のある城であると言えるでしょう。

 

あの小牧・長久手の戦いでも犬山城は戦場になっている!

足軽b-モブ(兵士)

 

小牧・長久手の戦いとは、1584年に織田信長の次男・信雄(のぶかつ)・徳川家康連合軍と、のちの豊臣秀吉(当時は羽柴秀吉)軍との間に起きた、本能寺の変以降の覇権をかけた大規模な戦です。歴史好きの方ではない限り、ほとんどの方が知らない戦ではありますが、とても重要なターニングポイントでした。この戦いにより、織田家は天下統一の舞台から完全に降りることになり、豊臣秀吉の覇権が決定的となります。一方で「徳川家康侮りがたし」という意識が、豊臣秀吉側に強く植えるけられることにもなりました。

 

池田恒興

 

この戦で犬山城は、豊臣側についた、姫路城築城で有名な池田輝政の父親である池田恒興(ただおき)に急襲されています。恒興は当時大垣城の当主でしたから、北側からではなく西側から攻めることになります。恒興はもともと織田信長の重臣だったわけですから、織田信雄としては油断していたのでしょう。さらにもともと恒興は犬山城の城主であったので内部のことは熟知していました。城の内部には内偵者もいたようで、犬山城はいとも簡単に堕ちてしまったようです。当時尾張を治めていた織田信雄にとって、犬山城を取られてしまうのは痛すぎます。この結果、両軍は木曽川を挟んでではなく、小牧でにらみ合うことになってしまいました。この時兵を進めてきた豊臣秀吉は犬山に着陣しています。犬山城はそのくらい重要な場所だったということです。

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かずさん

かずさん

ライター自己紹介: 歴史との出会いは小学生の頃、図書館にあった日本の歴史に関する「漫画」でした。その後、ベタですがNHKの大河ドラマが好きすぎて「戦国時代」と「幕末」にはまっていきました。最近では城郭考古学者である千田先生の影響で「城」に一番の興味を持っています。先陣をきって攻めている足軽の気持ちになっての城散策が最高に楽しいです。 好きな歴史人物: 土方歳三、前田慶次、山本勘助、北条早雲、関羽雲長 etc 何か一言: 教科書で習ったイメージと事実とのあまりにも大きなギャップに驚きを隠せない今日この頃です。

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