お城はいつも清潔に!ピカピカだった戦国の城


 

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織田信長と本願寺顕如(石山合戦)

 

戦国乱世というと、何カ月も風呂に入らないアドレナリン爆発の男たちが、毎日刹那的(せつなてき)に過ごしているイメージですが、それは多分北斗の拳のみすぎです。

 

しかし、戦国乱世と清潔はあまり結びつきませんよね?

 

死ぬかも知れない戦いを前に、汚いとかクサイとか言ってられない気がします。でも、事実は小説より奇であり、実際の戦国の城はいつもお掃除がされていたようです。

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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後北条氏は掃除好き

名古屋城

 

城内は野外に比較して狭く、そんな所に長期間大勢が詰めていると当然汚れます。そして、そんな汚物を放置しておくと疫病が流行する事を戦国時代の人々は経験で知っていました。

 

そこで、毎日のように城の掃除をするようになったのです。実際に関東の雄、後北条氏(ごほうじょうし)の居城、小田原城(おだわらじょう)小曲輪(こくるわ)城掟(しろおきて)には、

 

「毎日、当曲輪の掃除(そうじ)、厳密に致すべし」とあり毎日の掃除が義務付けられていました。後北条氏の城郭(じょうかく)関係史料には、この「掃除」というワードがかなり頻出するそうです。

 

すると、後北条氏の武士たちは、なかなかのキレイ好きだったのでしょうか?

 



受け渡しでは前よりもキレイに

足軽a-モブ(兵士)

 

また、城を守る在番衆が交代する時にも掃除をする決まりがあった事が、上野榛名峠城(こうづけはるなとうげじょう)権現山城(ごんげんやまじょう)などでは義務付けられ「きらびやかに」して受け渡すように書かれているそうです。

 

今風に言えば、「ぴっかぴかに磨いてから城を受け渡してね!」みたいな意味ですね。ヒゲモジャ傷だらけの戦国武士が交替前に、床や壁をキュッキュと磨いている様子を想像すると、とても微笑ましいです。

 

はじめての戦国時代

 

島津では夏の草刈りを義務付け

同年小録(書物・書類)

 

島津氏の支配する宮崎城では、夏場に曲輪の草刈りをやっていた事が、上井覚兼日記(うわいかくけんにっき)から分かるそうで、これもなかなか面倒くさそうです。でも、警備上も草がぼうぼうに伸びてしまえば、そこに忍びが隠れてしまう事もあり得ますし、飛んできた火矢で草が燃えて、そこから建物に飛び火する可能性もあります。それを考えると、草刈りは必要不可欠だったんでしょうね。

 

汚物を捨てる掟

劉備と徳川家康

 

動物は例外なくウンチ製造機ですから、大勢の人間が一カ所で生活すると、すぐに排泄物(はいせつぶつ)の問題が出てきます。人間はもちろんですが、城内の曲輪には、馬や牛、犬のような家畜もいたので、それらの糞尿も城内の汚染に拍車を掛けました。

 

戦国時代のトイレは、大きな石を左右に並べてその間に穴を掘って用を足す和式トイレのようですが、この城内の排泄物の処理方法を記している城掟はとても少なく戦国の排泄物処理は詳しい事が分っていませんでした。当時の人には当たり前すぎて、わざわざ書く必要もなかったのでしょうね。

 

そんな中、奇跡的に後北条氏の浜居場城(はまいばじょう)の城掟には、排泄物の処理法が書き残されていて、残されていました。

 

それによると、

 

糞尿(ふんにょう)は毎日捨てる事、捨てる場所は、城から遠矢を放って矢が落ちた場所よりも遠くに捨てるように、矢より近くに捨てない事」

 

このように書いてあり、城からかなり遠くまで運んで捨てていた事が分かります。

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kawauso

台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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