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「ひとなきところにひとあり……」
諸葛亮はやはりとばかりに孟節にとても感謝し、貴方こそ南蛮の王となって地を治めるべき人だと確信。
自分たちを助けてもらった御返しもあって孟節を南蛮の王とするように国に返ったら劉禅に奏上すると言うも、孟節は富や権力には興味がなく、ただここで静かに暮らしていきたいとだけ望みます。
その後、丁寧に何度も礼を尽くし、諸葛亮は孟節と別れます。それから後は孟節は出てきません。孟獲が南蛮の王となり、以降を治めることになるも、そこに孟節がどうしたかは語られないまま終わるのです。
孟節は傑人か?
さてここで少し考えてみたいのが、孟節は果たして傑人であったか?ということです。
孟節は良い人である人は間違いありません。長きにわたり毒の泉で苦しむ人々を救い、欲がなく、権力も求めず、諸葛亮も孟節のことを人格者だというように礼を尽くして振る舞っています。しかし傑物であったかと言われると、筆者は少し疑問点が湧いてきます。
三兄弟の兄
孟節は欲深く、荒っぽい性格である弟たちを嫌がり、隠者として生活していました。しかしその結果、弟たちは戦争を引き起こし、南蛮の地では多くの犠牲者が出ることになります。そして弟たちがそんな大戦争をしている中でも、孟節は何をしたという記述はありません。
悪く言えば孟節は弟たち、そして自らの土地の人々にすら無関心……とすら思えます。兄であるならば弟を諫めるなり、何なりの行動ができたのではないか?とも思います。
ただ孟節はどこか、劉備に繋がる一面もあります。荒っぽい性格の弟たちに人格者の兄……とすると、三国志演義では劉関張三兄弟が思い浮かびますよね。
そのオマージュとして孟節というキャラクターが生まれたのではないかと思うのですが、あまりにも無欲な兄と強欲な弟を強調してしまったから、最終的に別の見方をすると弟たちに何も働きかけない兄の一面も見えてしまったのかな……?というのが筆者の妄想です。
個人的にはもう少し孟節にエピソードを割いたらもっと面白くなったのでは……?とも思うので、「これから」の色々な三国志の解釈に期待ですね!
三国志ライター センのひとりごと
今回はちょっと孟節の別の一面を考えつつ、妄想してみました。筆者はこの南蛮三兄弟の過去がもう少し触れられていたらなぁ、と思うのですが、皆さんはどうでしょうか?
しかし三国志の世界は時が重なるにつれ色々な解釈が生まれ、ドラマ、漫画、ゲームなど、様々な広がりを見せています。もしかしたら今後、南蛮軍に対する新しい解釈の物語も見れたりして……南蛮軍にフューチャリング!新解釈三国志、どうですかね!?
参考文献:三国志演義
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