西晋の実力者の悪事を描けない陳寿の苦悩




正史三国志_書類

 

正史三国志の鍾会伝のラストは成都城の外に待機していた魏兵が誰の督促もないのに、我先に城壁によじのぼり、庁舎に捕らわれた指揮官を解放し鍾会を討ったとされています。

 

鍾会を捕縛し殺害する衛瓘

 

しかし、同じ場面が晋書では監軍の衛瓘が指揮した事になっています。

 

魏晋世語(書類)

 

晋書の方が正史三国志より成立が後ですが、これは、陳寿が存命の頃、衞瓘が西晋で高い地位についていた事に忖度し筆を曲げたものです。

 

田続をけしかけて鄧艾と鄧忠を殺害する衛瓘

 

本当は衞瓘が兵を指揮して鍾会を討ち、鄧艾も兵を派遣して殺害したからでこの時、衞瓘は鄧艾を逮捕した張本人で鄧艾に恨まれる事を恐れての行動でした。

 

陳寿 三国志

 

いずれにしろ、西晋の実力者の悪事を描けないので陳寿は、魏兵がリモートで鍾会を討ったとちぐはぐな記録を残したのでしょう。

 

【邪悪なエリート官僚が起こした乱】
鍾会の乱

 

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