群雄割拠を生き抜いた劉表の戦略【三国志ミニコラム】

2022年2月1日


 

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馬に乗って単身荊州へ赴く劉表

 

八方美人は嫌われますが、政治の世界は八方美人じゃないとやっていけません。三国志演義の影響で優柔不断のイメージをもたれがちな劉表ですが、実際には優柔不断というより八方美人です。

 

李傕・郭汜祭り

 

正史によれば長安の李傕と郭汜は劉表と組もうとして鎮南将軍・荊州牧とし成武侯に封じ節を仮します。

 

献帝を保護する曹操

 

次に献帝が長安を脱出して曹操の庇護を受けて許に入ると献帝に貢物を出し返す刀で袁紹と同盟を結びました。

 

朝まで三国志 劉表

 

治中の鄧羲が「節操が無さ過ぎやしませんか」と諫めると劉表は「内では朝廷に貢物をして敬意を表し、外では反董卓連合軍の盟主にも叛かないこれが天下の義に通じているという事だ。治中は1人で何を怪しむのか?」と言ってのけました。鄧羲は病気と称して辞職し、そのまま死去します。清廉な儒教官僚ですね。しかし、乱世においては劉表のように敵を作らないのが正解です。

 

後継者をまだ決めれない劉表

 

友達は多く作っておき、都合が悪くなれば切り捨てる方が、追い詰められて慌てて仲間を増やそうとするより何倍も簡単なのです。

 

NHK大河ドラマ 平清盛風

 

日本の平清盛だってできるだけ各勢力に良い顔をして良好な関係を築き「平家にあらずんば人にあらず」の栄華を極めたのです。劉表はなかなかの策士であると言えるでしょう。

 

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台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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