今週もお疲れ様。宜都郡の名前の由来

2022年2月11日


監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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今週もお疲れ様でした 張飛

 

はじめての三国志TVをご覧の皆さん、今週もお疲れ様でした。今回のお疲れキャラは張飛です。

 

張飛と劉備

 

張飛は建安15年(西暦210年)劉備に宜都太守に任命されています。しかし、ここは元々荊州南郡で曹操が荊州を落とした時、枝江県以南を分割し臨江郡を置いた土地でした。現在、臨江郡があった場所は宜昌市で都市の真ん中を長江が流れています。ここに臨江郡と名付けたのはいかにも曹操らしいです。

 

劉備と孫権

 

ところが劉備は赤壁のドサクサで南郡を奪うと臨江郡を改称して宜都郡としたのです。ちなみに宜とは「ちょうどピッタリである」という意味で安定している、落ち着いているという意味もあります。

 

大声を出す張飛

 

劉備はやっと手に入れた南郡を失いたくなくて流れ去ってしまいそうな臨江という名前を縁起でもないとして宜都に変え一騎当千の猛将張飛を太守として置き睨みを効かせたのではないでしょうか?

 

父・関羽とともに亡くなる関平

 

しかし宜都は劉備の願いも空しく関羽が魏呉連合軍に攻められた後で陸遜の部隊に奪われてしまいましたけどね。

 

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kawauso

台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

-おつかれさま